ワーキング革命 - 第6回
蟻の社会を見習う
文/田中亘
本質は「組織の余力」を高めること
長谷川英祐という北海道大学大学院 准教授の著書に『働かないアリに意義がある』という本がある。日立製作所の荒井氏は、この本を例にとってITによるワーキング革命の真の意義は、生産性の向上という単純なものではなく、組織としての余力を蓄えることにあると指摘する。「長谷川氏の著書によれば、約7割の蟻は働いていないというのです。さらに1割は、一生働かないのです。それでも巣が維持されているのは、いざというときにその7割の余力が能力を発揮して、組織を維持してくれるからです」(荒井氏)
ワーキング革命というと、ITを活用して効率の良い働き方を追求するものだと捉えられがちだ。事実、ITソリューションを提供しているベンダーの多くは、導入の効果として「いつでも、どこでも」働ける利便性を指摘する。特に、米国を中心としたワーキング革命の事例では、時間や場所にしばられない働き方によって、営業成績が向上したり、業務の生産性が上がる、といった成果が強調されがちだ。しかし、こうした「短期的な効率重視」というITの使い方は、結果的には会社という組織の生き残り戦略としては、不十分だというのだ。
「ワーキング革命の真の目的は、組織の余力を蓄えることにあると思います。組織の全員が働きすぎて疲弊してしまうような会社は、決して長続きはしません。個人においても、ITを活用して24時間フルに働くのではなく、緩急をつけたワークスタイルが大切だと捉えています。そのために、日立グループのIT基盤では、就業時間外のメールやコミュニケーションツールの利用をチェックして、働きすぎないようにアドバイスしています」と荒井氏は提唱する。
多様な働き方に対応するITとは
「例えば、外資系のIT企業がワークスタイル変革を商材としてセールスするときには、世界の人口の100分の1や1,000分の1にも達していない高度な働き方を実践している人たちを例えにしています。いわく、ワークスタイルを変革すれば、余った時間でよりクリエイティビティの高い仕事ができるようになります、と。しかし、現実の社会では誰もがクリエイティビティの高い仕事をして収入を得ているわけではありません。サービス産業や流通業のように、物理的な労働や単純作業によって、対価を得られる仕事も数多くあります」と荒井氏は話す。
ITによるワーキング革命には、さまざまなメリットがある一方で、その恩恵を受けられる産業や労働者は限られているという。そのため、より広い視野でワーキング革命を考えていく必要があるというのだ。その一つの例に、ある外食産業チェーンがクラウドメールとタブレットを活用して、数千の店舗にメールの基盤を構築したケースがある。導入したタブレットには、店舗共有のメールアドレスを割り当てたので、店長だけではなく、スタッフが誰でも読めるようになっている。しかし、タブレットを配布した情報システム部門では、店舗を統括するスーパーバイザなどに、メールを極力送信しないように通達した。メールというコミュニケーションツールが便利すぎて、管理者たちが手軽に送信してしまうというのだ。
仮に一人のスーパーバイザが一通のメールを送信したとすれば、そのメールは担当する数十から数百の店舗に届く。さらに、十人百人のスーパーバイザが一通のメールを送信すると、店舗には数十数百のメールが届いてしまう。そうなると、店舗ではメールに対応することが業務の負担になってしまう。便利なはずのツールが、働く場所やスタイルによっては、業務に影響を及ぼしてしまう。そうならないためには、運用を配慮したクラウドやデバイスの提案が必要になる。
働くことを幸福にするための技術革新
幸福感をも追及する日立グループのフレキシブルワークでは、これまでのデスクトップ環境にしばられた働き方からの解放を目指す。「人を中心に知を集結することで、新たな成長のための価値創出を実現します。そのためには、クライアントとなる各種のデバイスを人と情報を結ぶためのインターフェースと捉えて、ワークスペースをデザインしていくことが重要だと考えています」と荒井氏。
これまで、多くの企業がWindowsにしばられてきた5大理由は、以下になると荒井氏は分析する。
- ネイティブアプリ
- Internet Explorer
- Office
- Active Directory
- Microsoft Exchange
「日本の企業の場合は、特にIEをどうするかが、大きな課題となっています。この問題を解決できるソリューションとして、我々は『どんな働き方を目指して、どういう順番で実現するか』を考えて、そのための『ワークスペース』における業務アプリなどを実行するための環境をアーキテクチャー面から整理していきます」と荒井氏は説明する。
具体的には、Windows環境をどこまで延命させるか検討し、新しいプラットフォームを何にするか選定し、業務アプリがデバイスに依存しないで利用できるポータビリティの設計を推進する。「そのためには、業務環境を『OS』に依存しない環境へと発展させる設計が必要になります。すでに、適材適所で多様な端末を使いこなして、成果を出している企業も増加しています。日立グループでは、このフレキシブルワークを実現するためのワークスペース設計に加えて、人工知能を活用して働く人の幸福感を向上させる技術も開発しています」と荒井氏はフレキシブルワークのその先の目標について触れる。
蟻の社会のような余裕は出せないまでも、働くことの意義や意欲を幸福感という指標で測ろうとする取り組みは、これからのワーキング革命にとっても、重要な経営指針となるのではないだろうか。
(PC-Webzine2016年9月号掲載記事)
筆者プロフィール:田中亘
東京生まれ。CM制作、PC販売、ソフト開発&サポートを経て独立。クラウドからスマートデバイス、ゲームからエンタープライズ系まで、広範囲に執筆。代表著書:『できる Windows 95』『できる Word』全シリーズ、『できる Word&Excel 2010』など。