システムやサービスの正常な運用を妨げる事象

インシデント(incident)」という言葉は、英語では本来、単に「出来事」や「事件」などを意味する言葉ですが、ビジネスにおいては「対応が必要となる事象」という意味を持ちます。特に、情報セキュリティやITサービス、また医療などの領域では、システムやサービスの正常な運用を妨げる、あるいは妨げる可能性のある「予期せぬ事象」を指します。

ITインシデントは、さまざまな形態で発生します。システム障害やネットワークの停止のほか、不正アクセスやマルウェア感染などによるセキュリティ侵害や、個人情報、機密情報などが外部に流出するデータ漏えいなども、インシデントに含まれます。

インシデントに似た言葉に「アクシデント」「ヒヤリハット」があります。

インシデントは、実害の有無に関わらず、システムの正常な運用を脅かす可能性のある事象全般を指す広い概念で、未遂に終わった事象や軽微な問題も含むのに対し、アクシデントは、すでに重大な結果を引き起こし、被害や損害が生じた事故や障害を指します。また、ヒヤリハットは多くの場合、重大な結果には至らなかったものの、危険な状況が発生した事例のことで、主に人的要因による事象を指します。

インシデントの発生は、内的な要因と外的な要因とに大きく分かれます。また、意図的に発生させるものだけでなく、偶発的な要因によるものもあります。

インシデントの具体的な原因は多岐にわたり、操作ミスなどの「人的ミス」、システムなどの「設計上の欠陥」、サイバー攻撃など「外部からの攻撃」、地震や落雷など「自然災害」といったものが挙げられます。

現代のビジネスにおいては、こうしたインシデントの形態や原因を理解し、適切に対応することが求められます。

事業継続性を支えるインシデント管理

ITシステムがビジネスに不可欠なものとなっている今日、インシデント管理は企業にとって非常に重要です。インシデント管理とは、システム障害やセキュリティ侵害などのインシデントに、迅速かつ効率的に対応するための仕組みのこと。ITサービスの中断を防いだり、通常のサービス運用をできるだけ早く復旧したりすることを目的としたプロセスです。

インシデント管理は、企業の事業継続性とリスク管理において重要な役割を果たします。

インシデント管理の主な目的の1つは、インシデントによる事業への影響を最小限に抑えること。システムやサービスの停止時間を短縮し、業務の中断を防ぎ、顧客への影響を最小化します。2つ目は、サービスの継続性を確保すること。予期せぬ事態が発生しても、代替手段の確保や迅速な復旧対応により、ビジネスの継続性を維持します。第3に、発生した問題の原因を特定し、再発を防止すること。同様の問題が繰り返し発生することを防ぎ、システムやサービスの品質向上につなげます。

インシデント管理はまず、システム監視やユーザーからの報告によってインシデントを検出することから始まります。次に、影響度や緊急度に基づいて問題を分類し、適切な対応レベルを決定。その後、定められた手順に従って対応策を実施し、サービスを復旧させます。最後に、原因を分析して再発防止策を検討し、すべての過程を記録して報告します。

適切なインシデント管理は、事業継続性を向上させます。問題発生時の対応が迅速化され、業務への影響を最小限に抑えることができます。また、顧客満足度の維持・向上にもつながり、企業の信頼性を高めます。さらに、体系的なリスク管理によって、予期せぬ事態への備えが強化され、インシデント対応にかかるコストの削減も期待できます。

ビジネスへの影響度に基づくインシデントレベル

発生したインシデントの重大度や緊急度を分類するための基準を「インシデントレベル」と呼び、適切な対応の優先順位の決定と、リソースの効率的な配分を行うために使われます。インシデントレベルを設定することで、対応の緊急度や必要なリソースを判断しやすくなり、迅速かつ適切な対応が可能となります。

インシデントレベルは、3つの要素を考慮して設定します。1つはサービスや業務への影響範囲。システム全体か特定機能か、影響を受けるユーザー数はどれだけか、業務プロセスへの影響度、データの完全性への影響などを評価します。

また、対応の緊急度も考慮する要素の1つ。サービス停止の有無や代替手段の有無、業務の重要性、復旧までの許容時間などを評価します。

さらに顧客への影響度も大切な要素です。サービス利用への直接的影響、データセキュリティや法令順守への影響、企業イメージへの影響などを評価します。

以下は、インシデントのレベルを3段階に分類した場合の例です。

レベル1(重大インシデント)
システム全体の停止、重要データの喪失、セキュリティ侵害など
・影響:業務の完全停止や重大な損失のリスク
・対応:経営層への即時報告、専門チームの緊急招集、顧客への迅速な通知、24時間体制での対応

レベル2(中程度インシデント)
特定機能の障害、パフォーマンス低下など
・影響:業務への部分的な影響
・対応:担当部門での優先的な対応、原因究明と再発防止策の検討、定期的な状況報告、必要に応じた顧客への通知

レベル3(軽微インシデント)
表示の乱れ、軽微な動作遅延など
・影響:業務への影響が最小限
・対応:通常業務内での対応、状況の記録と管理、定期的なレビュー、必要に応じた改善策の検討

各レベルに応じて対応手順を明確に定義し、組織全体で共有することで、効率的なインシデント管理が可能となります。また、定期的なレベル設定基準の見直しにより、変化するビジネス環境に適応した、柔軟な対応体制を維持することが重要です。

インシデントレポートはインシデント管理の要

「インシデントレポート」は組織のインシデント管理において中核的な役割を果たし、継続的な改善活動の基盤となるものです。インシデントレポートとは、発生したインシデントの詳細、対応状況、解決策などを記録・報告するための文書。問題の分析、再発防止、組織の改善に活用する重要な情報源となります。

インシデントレポートには、発生した問題の正確な状況把握から対応プロセスまでの詳細な記録、技術的な分析結果の文書化、そして時系列での出来事の整理まで、詳細な情報を記録します。これにより、問題の根本原因を特定し、類似インシデントの傾向を分析。効果的な対策の立案や予防措置の検討に活用します。さらに、関係者間での状況認識の統一や、経営層への報告資料としても重要な役割を果たし、組織の知見として蓄積されていきます。

インシデントレポートに記載する具体的な内容は、インシデントの発生日時と検知時点、インシデントの具体的な内容、影響を受けた範囲やユーザー数など。また、インシデントレベルの判定結果や実施した対応策の内容、原因分析の結果、そして今後の再発防止策についても記録します。

インシデントが発生した際、担当者は速やかにレポートを作成する必要があります。インシデント発生直後の初期レポートから始まり、対応の進捗に応じて随時更新し、最終的には収束後の最終レポートとしてまとめます。レポートは部門責任者による内容確認と承認を経て、関係部署へと共有されます。この過程で必要な対策の実施も検討されます。

インシデント管理の代表的な手法とツール

インシデント管理を効果的に実施するために、さまざまな手法やツールが開発され、活用されています。それぞれの特徴を理解し、組織に適した方法を選択することが重要です。ここでは、インシデント管理の代表的な手法やツールを紹介します。

・ITIL(Information Technology Infrastructure Library)フレームワーク
ITILは、世界で最も広く採用されているITサービスマネジメント(ITSM)のベストプラクティス集です。インシデント管理に関して、明確な定義と体系的なプロセスを提供します。

ITILではサービスデスクの設置を起点に、インシデントの検知から解決までの一連の流れを標準化しています。特に重要なのは、インシデントの分類基準やエスカレーション手順の明確化です。これにより、組織全体で一貫した対応が可能となり、サービス品質の向上につながります。

・PDCAサイクルによる継続的改善
インシデント管理においても、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Act(改善)のサイクルを回すことで、継続的な改善を実現します。PDCAのアプローチにより、予防対策の強化、対応時間の短縮、再発防止策の充実など、具体的な改善を実現できます。

・効率化を支援する管理ツール
現代のインシデント管理には、専用ツールの活用が不可欠です。インシデント管理に活用できる代表的なツールとして、「ServiceNow」や「Jira Service Desk」「Zendesk」といったITSMツールが挙げられます。これらのツールを活用することで、インシデントの記録と追跡、進捗状況の可視化、自動通知とエスカレーション、レポート作成の自動化、ナレッジベースの構築といった、インシデント解決までのプロセスを効率化できます。

こうした手法やツールに加えて、根本原因分析(RCA)によるインシデントの真の原因の特定や、KPT(Keep, Problem, Try)法による振り返りなどを組み合わせることで、より効果的なインシデント管理体制の構築が可能となります。