アナログな案件管理とシステム化への抵抗
本書は、株式会社日本M&Aセンターという会社が、どのように全社員のIT能力を底上げし、DX(デジタルトランスフォーメーション)化を実現してきたかという10年間の足取りを描いている。
株式会社日本M&Aセンターは1991年に創業。2006年に東証マザーズに、翌2007年には東証一部に上場した、M&A業界最大手だ。2022年度の売上高は413億円、累計成約実績は8,500件にのぼり、年間500組のM&Aを支援している。社員は100人ほどから1,000人を越えるまで急成長を遂げた。
著者の藤田舞氏は2014年にこの日本M&Aセンターに入社し、営業企画を経て社内システム、ツールの活用推進や保守運用を担当してきた。入社当時、売買情報はコンサルタント一人ひとりが個人的に管理する、きわめてアナログな状況だったという。売り手担当と買い手担当が個別に「何かいい案件ない?」と情報交換したり、会議で案件を発表して相手先を探すなどしていた。会社の規模が小さく、案件数が少なければこれでもなんとかなったが、事業規模を拡大させ、会社を発展させるためには顧客管理・案件管理のシステム化が不可欠だ。
2014年、同社は営業支援・顧客管理ツールであるSalesforceを導入して情報の一元管理を実現し、強い営業組織を作ることを決定した。同時に著者は一人目の専任推進担当に任命された。
いざ顧客・案件管理システムを稼働しても、現場からの反発は強かった。毎日の顧客・案件情報の入力など面倒なだけ。スタート時にはデータベースは空だから、メリットも見えてこない。その抵抗を覆してデジタル化を進めたのは経営トップの決断だった。
当時、三宅卓社長は顧客・案件データベース構築の意義を繰り返し語り、社内に浸透させようとした。「我々の商品は情報。当社における情報は、金融機関における現金とまったく同じ。その日の営業活動で得た情報をその日入力せずに帰宅することは、銀行員が預かってきた現金を処理せず机の中に入れて帰宅することと同等」というメッセージを送っている。
それでもデータを入力しない社員も出てくる。そこで強制的にデータを入力させる規則を作った。7日間営業活動の入力がなかった場合、社内システムへログインできなくなる。解除するには社長と面談し、直筆のサインが必要。滅多に起こらない事態ではあるが、社内システムからの締め出しという、厳しい処分を下すという姿勢を示した。
ブラックボックス化した社内システム
このように経営トップが強い意志で主導したことにより、日本M&Aセンターの顧客・案件管理システムは次第に軌道に乗り、Salesforce導入の好事例としてメディアで紹介されるほどになった。
だが、システムが社内に定着するに従って、あらたな問題も表面化してきた。それは外部業者に発注して作ったシステムであったため、会社の急成長に合わせた基本機能改修が難しいこと。さらに著者が記録を残さず、一人でツール類の追加をしてきたため、他人には訳の分からないブラックボックスと化してしまったことだ。
日本M&Aセンターはここで大きな決断をくだした。これまで使ってきたシステムを全部捨て、Salesforce Platformを採用してノーコード・ローコードによる全面リニューアルに踏み切ったのだ。Salesforce Platformはソフトウェアが動作するOS環境やデータベースといったプラットフォームをインターネットを介して提供するPaaS(Platform as a Service)ソリューション。プログラミングをせずに、ほとんどクリック操作だけでビジネスアプリケーションを構築できる。また、改修記録を全社員が見えるようにし、ルールとマニュアルを整備した。
社員が登場するマニュアル作成でクレームの嵐を乗り切る
リニューアルされたシステムも、素直に社内で受け入れられたわけではなかったという。著者にとってシステム開発経験は独学のSalesforceのみ。数百人が使う大型プロジェクトを担当するのも初めての経験であり、リニューアルには1年半ぐらいかかってしまった。リリース前から不平不満が渦巻き、リリース後はクレームの嵐に見舞われた。「仕様の変更を知らされていない」「事前に伝えるべきではないか」「使いにくくなった」などなど。
システムの変更は業務の変更を伴うことが多い。それが良い方向に向けばいいが、現場にしてみれば面倒で邪魔なことだ。リニューアルの目的をしっかり伝えきれていないことがクレームの原因になってしまう。
「使いにくくなった」というクレームに対し、著者はわかりやすいマニュアル作りで対応した。漫画を活用し、ブログのようなノリで社員を登場させ、困りごと、引っかかりそうなポイントを解説した。例えば、ついつい面倒になりがちな報告入力は、新人F君が「えっ、まさかみんな会社のPCで入力しているの? 携帯電話から簡単に入力できるよ」といったように。登場するのが社員ならば、漫画を描くのも社内で絵が得な人が持ち回りで担当する。身近な人がモデルになったことから、面白がりながら読んでくれたという。
資格制度導入で全社員のIT能力向上へ
社員が1,000人近くに増えると、システムを数人の担当者で回すのは難しくなってくる。多くの企業では専門のシステム部を設けるか、外注に丸投げしてしまうのだが、日本M&Aセンターは全社員のIT能力を底上げするという路線を取った。具体的には社内資格制度を導入したのである。入門コース、初級コース、上級コースの3種類の資格制度を作った。上のコースを取得するには実際に自分や自部署の業務を改善するシステムを構築し、部門長へのプレゼンテーションを必須としている。単なる資格のための資格、知識を試す資格試験ではなく、業務改善と密着した使える資格となった。
資格取得だけでもモチベーションアップにつながるが、さらに上級コースを取得すれば一時金や毎月の手当が付くというメリットも付加した。2024年2月1日時点で入門コースは514名、初級コースは342名、そして上級コースは36名が修了している。
2023年5月には社内コンテスト「日本M&Aセンター Salesforce CUP」を開催した。24名が応募し、予選を勝ち抜いた5人が「一人で1万時間の業務時間削減に成功」「昨対比125%!過去最高の受託数を達成」「1日のインサイドセールスのコール数が3.5倍に」「営業現場必見!全員がSalesforceを最大限に使いこなすチームの作り方」「8年越しの課題を実現!社内資格を取りながら走った超過酷なシステム大改革」を本選で発表した。そこにIT部門の発表は一つもなく、すべて営業部門や経理課といった現場の人たちだった。
DX化を推進する新会社立ち上げでスキルアップの場を作る
その後著者は、2024年4月に日本M&Aセンターホールディングスの子会社となる株式会社日本DX人材センターを設立し、代表取締役に就任した。
日本M&Aセンターの主な顧客である中堅中小企業はまだまだDX化が遅れている。多くの中堅中小企業のDX化を推進できれば、それは日本全体の生産性を向上させるし、日本M&Aセンターにとっても提案できるソリューションが増えることにつながる。
著者は日本DX人材センターの事業として、働きながら学習してスキルアップできる場の創造、特に結婚や出産でキャリアの中断を余儀なくされることが多い女性のスキルアップを実現したいという。
本書の中にはシステムの具体的な画面や仕様は1片も出てこない。日本M&Aセンターという会社において、どのように社員の共感と信頼を獲得し、全社員のIT能力を底上げし、DX化を実現してきたかという10年間の足取りが描かれている。著者は「DXの本質は、ITを通して人を動かし、人を成長させ、企業をよりよい方向に向かわせる」ことだと述べている。
本書は、社内のDX化が進まない、IT人材が育たないと悩んでいる方にお勧めの一冊だ。
まだまだあります! 今月おすすめのビジネスブック
次のビジネスモデル、スマートな働き方、まだ見ぬ最新技術、etc... 今月ぜひとも押さえておきたい「おすすめビジネスブック」をスマートワーク総研がピックアップ!
『成果を生み出すためのSalesforce運用ガイド』(佐伯葉介 著/技術評論社)
CRM製品でトップシェアであるSalesforceは、国内でも導入企業が増え続けており、関連書籍がスタートアップ界隈を中心に人気を博しています。人材市場では、Salesforce管理関連の資格やスキルのキャリアの価値が高まり、注目度も上がり続けています。本書はSalesforce管理者を対象に、現場で必要な知識というくくりで情報をまとめ、資格試験や公式の学習リソースからは学べない“実践編としての再入門書”です。システムを管理するためのTodoやHowを明らかにしつつ、最終的にはビジネスの企画に踏み込んだ「攻め」の管理者を目指します。(Amazon内容解説より)
『Salesforce運用保守ガイド』(長谷川慎 著/秀和システム)
Salesforceは、CRM、MA、SFAなどの機能を中核に、顧客情報や商談などの営業活動に必要なデータをまとめて管理することで、営業プロセスの効率化や顧客への適切なアプローチを実現するクラウド型ソフトウェアです。本書では、会社でシステム管理を担当されている方に向けて、Salesforceの運用保守に必要な基本的な機能設定から実践的なメンテナンス方法などを認定コンサルタントが解説いたします。(Amazon内容解説より)
『いちばんやさしいDXの教本 改訂2版 人気講師が教えるビジネスを変革するAI時代のIT戦略』(亀田重幸、進藤圭 著/インプレス)
データとデジタル技術を活用してビジネスモデルを変革し、新たな価値創出につなげる「DX(デジタルトランスフォーメーション)」。デジタル競争の激化やハイブリッドワークの浸透に伴い、DXの重要性はますます高まっています。本書では、アナログデータのデジタル化から、業務のデジタル化、ビジネスモデルの変革まで行うDXの基本を解説しています。それに加え、生成AIをDXのツールとして業務に導入する方法も学べます。生成AIを業務に導入した事例を含め、DXの成功事例を多数掲載しており、自社でDXを行う場合のヒントを得られます。(Amazon内容解説より)
『デジタル・フロンティア 米中に日本企業が勝つための「東南アジア発・新しいDX戦略」』(坂田幸樹 著/PHP研究所)
今、シンガポールやインドネシア、タイといった東南アジア諸国でユニークなDXが進みつつある。これらの企業は単に便利なサービスを提供するだけでなく、物流や医療など、地域の問題をITの力で解決しつつある。そのため、GAFAMなどと違って地域社会と無理なく共存しているのが特徴だ。そしてこれこそが、少子高齢化や過疎化、既得権益のしがらみなどで身動きが取れなくなっている日本にとって、現状を打破するための極めて大きなヒントとなるのだ。本書はシンガポール在住で現地を知り尽くすコンサルタントがこの東南アジアの「半径5kmの問題解決」を紹介するとともに、それをどう日本のDXに活かすかまでを解説する。(Amazon内容解説より)
『企業に変革をもたらす DX成功への最強プロセス』(小国幸司 著/幻冬舎)
DXはICTツールやシステムの導入を指すものではなく、ただ導入するだけでどんな業務もあっという間に改善できるというものではありません。著者は、経営陣やIT担当者の意識改革から、目的の明確化、課題の棚卸し、ワークフローの細分化など、非常に泥臭く緻密な作業を繰り返し、施策が社員に定着して初めてDXが成功したといえるのだと指摘しています。本書は、著者がこれまでDXに取り組んだ企業の事例をベースに、成功させるために必要な工程やその手法を詳しく解説したものです。業務の効率化、生産性向上を期してDXを検討する経営者、担当者へ向けて、後悔しないDXの手引きとなる一冊です。(Amazon内容解説より)