AI の普及などテクノロジーの進歩において
クリエイティビティの支援で人々に貢献していく

Adobe の日本法人であるアドビの新たなトップに、元日本マイクロソフトの中井陽子氏が4 月22 日付けで就任した。
日本マイクロソフトでWindows & Offi ce カテゴリー戦略グループ業務執行役員や、パブリックセクター事業本部公共・教育部門統括の執行役員を歴任した中井氏が活躍の場をアドビに移したのはなぜか、アドビで何を目指すのか、話を伺った。

本社の社員と対等に仕事をするために
オーストラリアの大学でMBA を取得

アドビ
代表取締役社長
中井陽子

編集部■日本マイクロソフト(当時はマイクロソフト)に新卒で入社して27 年間ご活躍されました。入社当時、日本ではビジネスでのIT 活用が始まったばかりで、IT企業も一般にはあまり知られていなかったと記憶しています。なぜ日本マイクロソフトに就職しようと考えたのですか。

中井氏(以下、敬称略)■大学生の頃に「NHK スペシャル 電子立国 日本の自叙伝」というテレビ番組で、米国と日本の半導体産業やデジタルテクノロジーについて解説していました。その番組を観て、当時一般に普及し始めたインターネットが世の中を大きく変える可能性があるということを知り、さっそく大学に設置されたばかりのコンピュータールームに行ってPC に触れてみました。

 実際にPC に触れるまでは、PC は黒い画面にアルファベットと数字が組み合わさった難解な文字列が表示されるものだと理解していたのですが、コンピュータールームにあるPC を立ち上げると色彩豊かな画像が表示されて驚きました。

 それはWindows 95 が搭載されたPCだったのですが、画面にアイコンなどのイラストが表示されており、マウスを使って直感的に操作できる体験をして、今のPCはこんなに簡単に使えるものなのかと感動しました。

 さらにそのPC からインターネットに接続すると、これまでは図書館に所蔵されている本でしか得ることができなかった世界中のあらゆる情報が瞬時に得られることも知り、テレビ番組で知ったインターネットによる世の中の変革が近い将来に実現されることを確信しました。

 こうしてPC やインターネットに興味を持ち、勉強するようになりました。するとPCの操作に不可欠なOS のWindows やインターネットを利用するためのWeb ブラウザーは、マイクロソフトが開発したものだということを知りました。

 そしてマイクロソフトは米国で新しい産業を生み出して経済をけん引したり、それまで一般に普及していなかったコンピューターを、巧みなマーケティングによって一般の人にも購入できるようにしたりしているなど、社会に普及させた立役者であることを知りました。

 こういう会社で働いてみたいと思い、ちょうど日本マイクロソフトが新卒採用を募集していたので応募しました。

編集部■日本マイクロソフトに入社されて、最初はどのような仕事に携わったのですか。

中井■私は営業職で入社し、国内の量販店などを担当しました。その後、製品担当になりました。製品担当になると本社の人たちとのやりとりが急激に増えました。本社の人たちと仕事をするには、もちろん英語を習得しなければなりませんが、言葉だけではなく相手と同じ知識を身に付けなければ対等に渡り合えないことに気付かされました。

 そこでビジネスパーソンとして身に付けるべき知識を得るには、ビジネスで重視されているMBA(経営学修士)を取得することが近道だろうと思い、MBA を取得することにしました。

 ただしMBA は日本でも取得できますが、相手と同じ言語で学んで取得しなければ同じ考え方で知識を得ることはできないと考え、オーストラリアの大学でMBA を取得しました。

AI の普及でクリエイティビティがより重要に
三つの製品でクリエイティビティを引き出す

編集部■日本マイクロソフトで長年にわたって活躍されましたが、なぜアドビの日本法人のトップを引き受けたのですか。

中井■アドビはマイクロソフトと同じくITの黎明期からグローバルで市場を開拓し、PC で使うソフトウェアの提供を通じてPCの普及を一緒にやってきた会社という印象を持っていました。

 マイクロソフトはOS やビジネスの基本ツールなどのインフラを提供しているのに対して、アドビはマイクロソフトにはないクリエイティブという領域で製品を提供しています。

 2010 年代に入ってAI が注目されるようになり、ここ数年で生成AI が急速に普及しています。AI が本格的に使われるようになると、人間が本来持っている能力である感情がより重要になってきます。数年前の世界経済フォーラムで「AI の世界において最も重要なことは人間のエモーショナルインテリジェンスとクリエイティビティである」という見解が示されました。

 圧倒的な情報検索に基づき、確からしい回答を出すことにおいては人間よりもAIの方が優れています。しかし相手の気持ちを理解すること、例えばWeb 会議でコミュニケーションする際に相手の感情を理解して共感するという行動は人間にしかできません。またあるものから着想を得て、何かを作り出す創造力も人間だけが備えている能力の一つです。

 こうしたAI では対応できない人間特有の能力を引き出すことが、これからのテクノロジーの進歩において不可欠だと考えています。そしてアドビが提供するクリエイティブな製品は、人間の能力を引き出すという重要な役割を担っています。

 アドビは「Creativity for All(すべての人に「つくる力」を)」という企業理念を掲げており、あらゆる人のクリエイティビティを育むことをミッションとしています。アドビは今後のテクノロジーの進歩において人々に貢献できる企業であり、またアドビの経営陣や本社のメンバーには、一緒に働きたいと思わせてくれる魅力的な人がたくさんいることも決め手となり、アドビに入社しました。

編集部■直近で注力する取り組みを教えてください。

中井■大きく三つの取り組みを推進しています。現在、顧客の購買がデジタルにシフトしており、顧客ごとにパーソナライズされたデジタル体験を提供できるかが、購入の意思を左右します。その人にとって最良のデジタル体験を提供するには、より多くのコンテンツが必要になります。

 そこで「Adobe Creative Cloud」( 以下、Creative Cloud)で提供される画像生成AI サービス「Adobe Firefly」(以下、Firefly)を活用することで、クリエイターの仕事の質を高めるとともに、生み出す作品の量を増やすことができます。またクリエイターのできることが増えれば、クリエイターになりたいと思う人も増えると考えています。

 Creative Cloud およびFirefly の提供を通じて企業のビジネスとクリエイターの仕事、クリエイターの人材確保に貢献していきます。

 二つ目は「Adobe Document Cloud」(以下、Document Cloud)です。DocumentCloudで提供されるAdobe Acroba(t 以下、Acrobat)は文書をPDF で保存するだけではなく、複数のメンバーが一つのPDFをオンラインで共有して同時に編集したり、デジタルで署名できたりするなど、ここ数年でできることが増えています。

 Adobe Acrobat の生成AI 機能「AcrobatAI Assistant」の日本語版も開発中です。例えば複数のPDF ファイルの内容から必要な情報を抽出し、それを要約することをAI アシスタント機能が支援します。

 このAI アシスタント機能を利用することで探す、まとめる、構成しなおすといった作業にかかる時間と労力を大幅に削減でき、企業や組織が持っている文書資産を知識に変えることができます。

 三つ目が「Adobe Express」(以下、Express)です。Express は先ほどお話ししました「Creativity for All」を具現化する製品です。クリエイターの知識やテクニックがなくても一般のビジネスパーソンから学生まで、誰もが簡単に自分の思いを自在に表現できるツールです。

 ビジネスでは製品の説明や商談において表現力の高い文書が求められています。また学校ではGIGA スクール構想で行き渡ったデバイスを、児童生徒の創造力を引き出すことへの活用が求められています。そうしたニーズにExpress は最適なツールであり、大きな需要が見込める製品だと期待しています。

 実際に企業への導入件数が増えており、例えば全国に店舗や拠点がある企業やチェーン店がブランドを統一させながらも、それぞれの地域の特色を表現したPOP などの販促ツールを現場で制作するといった活用方法があります。

 小中高校向けのExpress ライセンスは無償提供、大学専門学校向けもCreativeCloud ライセンスを含めて教育機関が導入しやすい特別プランでご案内しています。

 またアドビは日本の学校教育のデジタル化をサポートする包括的な支援プログラム「Adobe Education Elite Partner プログラム」の提供を開始しました。

 本プログラムに参画いただいたダイワボウ情報システム(DIS)さまと協力して、教育機関の環境整備や活用を支援していきます。

購入プログラムを進化させて
自動更新やシステム連携に対応

編集部■パートナーとの連携における取り組みを教えてください。

中井■サブスクリプションビジネスを伸ばしていくには、ライセンス管理に伴う手続きの手間や負担をいかに軽減するかが重要です。

 アドビは法人向けサブスクリプションライセンスの購入プログラムとして「バリューインセンティブプラン(VIP)」を提供してきました。VIP はアドビのサブスクリプション製品のライセンス管理プラットフォームとして業界に先駆けて構築し、多様な製品の型番に柔軟に対応できるなど、パートナーさまからご評価をいただいていました。

 ただし従来は毎年の更新手続きをお客さまやパートナーさまに対応していただくなど、業務負担の部分で改善する余地もありました。そうした改善とともにパートナーさまとの連携を強化することを目的にVIP を進化させました。それがVIP の後継となる購入プログラム「Adobe VIP Marketplace」(以下、VIP MP)です。

 VIP MP はライセンスを自動更新できる購入プランの提供により、毎年の更新手続きを自動化できるだけではなく、APIによってパートナーさまのシステムと連携することで業務の効率化にも活用できます。

 例えばDIS さまのライセンス管理プラットフォーム「iKAZUCHI( 雷)」とすでにAPI 連携しており、DIS さまのパートナーさまはアドビの製品だけではなくDIS さまが取り扱う多様な製品と組み合わせて、一括して販売、ライセンス管理ができるようになりました。

 またVIP MP とiKAZUCHI( 雷) の連携によりアドビ製品とほかの商材を組み合わせたクロスセルのソリューションを販売しやすくなり、パートナーさまのビジネス拡大に貢献できます。

 人口が減っている日本市場に対して、今後の成長に疑問を感じる声を海外でよく耳にします。しかし日本には「ひらがな」や「縦書き」、そして「マンガ」といった世界に誇れる独自の価値があります。この日本独自の価値をアドビは大事にしています。

 今後も日本市場で提供している製品や、その機能が日本の顧客に適しているのかを見極めて違っている部分を変えていくことと、アドビ製品の知られていない機能や価値を知ってもらうことにより、もっと使ってもらえるようにしていきます。そうすることで日本からグローバルで評価されるコンテンツが生まれ、それが日本の経済や社会への貢献につながる、そんなクリエイティビティを日本で支援していきたいと考えています。