森の中の電子国家エストニア
私はエストニアのタリンに住んでいます。エストニアはバルト三国の中でも最北部に位置し、ヘルシンキやストックホルムから簡単にアクセスできます。かつてはハンザ同盟の一員として栄え、現在の人口は130万人で福岡市と同程度です。
エストニアは、国家運営を全面的に電子化している「電子国家」として有名です。政府の手続きはすべてポータルサイトで完了し、先日の議会選挙では世界で初めて過半数以上の投票がオンラインで行われました。また、Skypeをはじめとする多くのスタートアップ企業が誕生し、9社のユニコーン(10億ドル以上の企業価値)を輩出しています。人口が100倍多い日本のユニコーンが6社であることと比べて、エストニアは非常に頑張っていると言えます。
私自身そのスタートアップの一つに働いていますが、個人的に最も印象的なのは彼らの意識の中心に森などの自然があり、家族があり、その上で仕事があるという考え方です。日本では仕事が大好きでそれに専念するか、それとも仕事はほどほどに妥協し家族を大事にするかの二択くらいしかなかった私の頭には自然を含めた全てと共存する考え方は斬新でした。
今回の記事ではエストニアの企業で働く私が見たエストニアならではのワークスタイルをその背景にある歴史や彼らの気質も含めてご紹介したいと思います。
アジアに追いつけ追い越せで始まった脱ソビエト化
エストニアはかつてソビエト連邦の一部でしたが、1991年に無血革命で独立を勝ち取りました。独立の際には、エストニア、ラトビア、リトアニアの道路を人々が手を繋いでならび、歌を歌って勝ち取ったと言われる「歌唱革命」が有名です。ドラマチックな話ですが現実の話で、この革命を記念して、今でも歌の祭典が開催されています。
現在電子国家の機能を支えるのは、GuardTimeやCyberneticaなどいくつかのサイバー企業ですが、そのうちの一つで黎明期からシステム構築を担っているDatelの社長に当時のことを聞くとこういいました。「当時はとにかくエストニアには強みと言えるものが全くなかったんだ。でも僕たちは日本だったりシンガポールなどの資源国でないアジアの国がその知恵を頼りに一気に世界の中心に駆け上がっていったのを見ていて、自分たちにもそれができると信じていた。Windows95も出ていなかったがフォーカスする分野は決まっていた。ITだった。」
アジアの国々を虎に見立てて、彼らの跳躍を見習おうというタイガーリーププロジェクトは電子国家化を推し進める中心的な役割を持っていました。
その成果は国家の運営を電子化しただけではありません。2011年にエストニア創業のSkypeをマイクロソフトが約1兆円で買収。これがきっかけとなってSkypeで知恵と財を蓄えた人たちが次々に新しい企業を作っていきました。現在Skypeマフィアと呼ばれる人たちで、私が働く企業Wise(国際送金)もそのうちの一人が設立しました。創業者はSkype最初のエンジニアと言われるターヴェットで、2021年にはロンドン市場で上場しました。同じようにWiseにゆかりのある人たちがその資金やスキルを新しい企業に提供しています。こうして世代を繋ぎながらエストニアのスタートアップエコシステムはどんどん拡大しています。
コロナで下火にはなっているものの、住宅価格は2010年から2022年の間で196%上昇。欧州の中で最も上昇率が高くなっています。平均給与も同じ時間軸でほぼ同様の上昇を見せています。
草の根的なスタートアップ文化
エストニアのスタートアップ文化は、基本的には上記のマネーと人の流れに加えて、コワーキングスペースでありVCでもあるLIFT99を船頭に、Startup Estoniaが様々なイベントや広報活動、情報の整理などをしています。
スタートアップの業種は様々ですが、やはりフィンテック関連が目をひきます。Wise、Verif、Moneseに加えて最近スタートアップアワードなどで受賞しているSingle.Earthも面白いです。地主やビジネスオーナーが所有する土地の自然を保護することにトークンを付与し収益をあげる仕組みで、「ほんまかいな」と当初は思っていましたが着実にのびてきています。
タイムリーなところではMilrem Roboticsというタンク型の自律移動ロボットの会社です。いわゆるDefence Tech(防衛産業のスタートアップ)も盛んでその一つです。義理の弟がエストニアの軍人なのですが、まだまだ使えるシーンが限られていてコスパも悪いとのこと。良くも悪くもNATOの予算が増えているので量産されるようになれば使いやすくなるかもしれません。
Wiseに次いで最も大きい、Uberの対抗馬Boltを中心にモビリティ・配達ロボットや関連デバイスなども多いです。最近ではロボットによる配達が一般化していて、町中をちょろちょろと走っています。なかなかかわいいですし、時々横断歩道を渡れなかったり雪道でつまづいているのを人に助けられているのを見たりします。中の人によると、緊急時は人間が遠隔で操縦しているとのこと。あの助けられているロボットは実際は人が操縦しているのだと考えると、なんだか面白いです。
こうした雰囲気を知る上で、一番おすすめの映画はChasing Unicornsというエストニアのスタートアップを題材にした作品です。コメディですが、中身はかなりいろんな人の実際の逸話が混じっています(サウナでプレゼン、など)。
14日連続で休まないと違法
そんなスタートアップが盛んなエストニアですが、働き方はかなり厳密で定時あがり絶対という感じです。私が働いている環境による偏見かもしれませんが、共通認識としては残業するということは家庭に対して遅刻する、ということのようです。私はリモートワークですが、6時にはきっかりパソコンをしめないとかなり怒られます。
一方で日中の時間調整は柔軟で、リーウ時間(あるときに余分に働いて、後で自由に休み時間をとれる)という方法で日中に歯医者にいったり子供の送り迎えをしたりしています。私も妻との協定で、毎日3時に娘と遊ぶという決まりがあります。これは会社も知っています。
有給は年に28日、追加のもろもろがあって大体35日くらいの有給と、医師の診断書なしでとれる病欠が5日、医師の診断書があれば無制限に病欠はとれます。またエストニアでは14日以上連続して休みをとらないと違法、という厳しい(本当に厳格)ルールがあるので、守らないといけません。また、サバティカル休暇が4年に1回あります。
こういうと天国ですが、私の仕事はマネジメント側なので大変です。ぶっちゃけガンガン人は休むので、毎日誰かがいません。タイムゾーンもまたいでいるので、同じ日に働いていても同じ時間帯じゃないかもしれません。そのため、常に人が一定数いない前提で構成しています。仕事量の需要とのバランスもあるので予測が最も重要になります。
そして、面白いことに正確に把握するためにはサービス残業など実態が見えにくくなるものは迷惑だし、休みがたまりにたまって一気に放出されても困るので、バランスよくちゃんと休んでもらうことが大事、というのが一般的な考え方です。
自然の中の一員としての自分
エストニアと日本はアニミズム信仰があるという点で似ていますが、おそらくエストニア人のほうが自然を愛していると思います。週末はカラオケに行くノリで森に行き、野イチゴやブルーベリーを拾ったりしています。日本人にとっての冬の鍋のような感覚で夏は森の中でBBQをやります(夏に一回はやらないと気が済まない、という意味)。
カエルの大群が通るからという理由で幹線道路を封鎖した、ということもありますし、鉄道計画は常に森の伐採が伴うので常に反対されています。
私は日本では競争社会を楽しんでいましたがエストニアに来てからは視点が変わったように思います。どこまで行っても上には上がいますし、競争に勝っても負けても死んだら骨。それよりもゆっくりと壊れていく世界をどうにか家族ともども生きやすいようにできないかな、という観点で見るようになりました。森の時間軸で考えることが多くなるとそうなるのかもしれません。
すると、ワークライフバランス、という言葉もちょっと違うなと。とにかく生きやすい環境をつくる、守る。そうすると仕事一辺倒ではいられない、という感覚です。バリキャリもいわゆるワークライフバランスもなんか違うなあと感じる人はエストニアに一度来てみては如何でしょうか。