視覚障害者にウェルビーイングを提供する
–Wel Tech– 広島県
広島県では、ニューノーマル時代の課題をデジタル技術で解決するアイデアを募るアクセラレーションプログラム「D-EGGS PROJECT」を行っている。本実証で採択された歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」について、その理由と可能性を取材した。
安心して外出できる環境を
広島県では、2018年から「ひろしまサンドボックス」と呼ばれるAI/IoT実証プラットフォームを設け、スタートアップ企業との共創事例を創出している。その中で、コロナ禍に顕在化した課題や、これから顕在化してくるであろう課題を、デジタル技術で解決するアイデアを募り、その実現に向けた実証実験を行うアクセラレーションプログラム「D-EGGS PROJECT」がスタートした。初年度となる2021年度には30のプロジェクトが採択され、広島県を舞台にプロトタイプ開発や実証実験が行われた。
その中で採択されたプロジェクトの一つが、Ashiraseが開発している視覚障害者向け歩行ナビゲーションシステム「あしらせ」だ。広島県 商工労働局 イノベーション推進チーム 地域産業デジタル化推進G 担当課長 金田典子氏は、あしらせ採択の理由を次のように語る。「コロナ禍では、視覚に障害がある方を誘導する介助者との密な接触は、感染拡大のリスクとなり得るという課題がありました。また、多様化が進む社会の中で、健常者でない人にもウェルビーイング(心身と社会的な健康を意味する概念)を提供でき、安心して外出できるソリューションとして、あしらせには大きな可能性があると考えました」
あしらせは、視覚障害者の靴に装着して、足に振動を伝えることで歩行をナビゲーションするソリューションだ。実証実験では、広島県に在住する弱視の視覚障害者33名に協力してもらい、日常的な歩行における困りごとへのインタビューや、実際にあしらせを靴に装着して30分〜1時間ほどの歩行を行ったという。
安全確認に集中して歩行可能
「実証実験に協力いただいた方からは、『あしらせを装着することで(歩く道順が分かるため)、安全確認に集中して歩行できる』といった好意的な声が多くありました。視覚障害者の中には、コロナ禍で介助者に頼ることが難しく、家に引きこもりがちになっているため、あしらせのようなデバイスがあると外出の手助けになると指摘された方もいました。一方で、左折や右折などの動作の指示を、もう少し早く出してほしいといった要望や、逆にもっと遅くしてほしいといった要望もありました。Ashiraseでは、これらの要望をもとに製品化に向けた改良を進めています」と広島県 商工労働局 イノベーション推進チーム 地域産業デジタル化推進G 平河直也氏は語る。
今回のあしらせの実証では、広島県の電力会社であるエネルギア・コミュニケーションズとも協力し、あしらせにおける衛星データを利用した位置情報の解析などへの検証も行った。「県内の企業とスタートアップ企業が連携して開発が行えることは、産業政策として大きなメリットがありました。ひろしまサンドボックスでは、広島県外の企業からの参加も積極的に受け付けており、広島県の実証のフィールドとしつつ、緩やかなつながりでもってこれからもさまざま企業と共創を続けていきます。2022年度には、あしらせは実証から実装フェーズにシフトしていく予定で、今年度中のサービスインに合わせて、広島県内のユーザーに本格導入を進めていきたいですね」と金田氏は語った。
視覚障害者の行く先を足への振動で知らせる“あしらせ”
–Wel Tech– Ashirase「あしらせ」
視覚障害者が歩行する際の新たなナビゲーションシステムとして、今開発が進められているのが「あしらせ」だ。2022年度中の製品リリースを目指す本製品は、どのような経緯で誕生したのだろうか。開発者である千野 歩氏に話を聞いた。
足が行く先へと導く
足への振動で、進むべき道を知らせてくれる。「あしらせ」は、そんな今までにないインターフェースで視覚障害者の歩行をナビゲーションするシステムだ。靴の内部に沿わせるインソールのようなデバイスを差し込み、靴を装着しているユーザーの足を振動させて、向かう方向を指示する。左右の靴の甲部分に装着するセンサーが、スマートフォンにインストールしたあしらせアプリケーションとBLE(Bluetooth Low Energy)で連動しており、アプリに入力した目的地へのルートに合わせて、あしらせのセンサーが靴の内部のインソールを振動させて、進む方角を知らせてくれる。スマートフォンは目的地を入力したらかばんなどにしまっておけばよいため、視覚障害のあるユーザーは白杖だけを手にして歩けばよい。
あしらせによるナビゲーションは、前述したように足への振動だ。インソール部分の足の甲や側面、かかとなど、左右6カ所が振動する。例えば曲がり角では全体が激しく振動し、右折する場合は右側が振動して進む方向を伝える。また、歩いていて方向が分からなくなった場合はかかとで地面をたたくと、進むべき方向が振動して向かう先が分かるのだ。
本製品を開発したAshiraseの代表取締役CEOを務める千野 歩氏は、そのきっかけを次のように語る。「妻の祖母が歩行の事故で亡くなりました。足を踏み外したことによる事故だったのですが、高齢により若干目が見えにくかったこともその原因かもしれないと警察から伝えられました」
千野氏はもともと本田技研工業(ホンダ)に勤めており、電気自動車の制御などの開発に携わる中で、歩行もモビリティの概念の一つと捉えていた。一方で視覚障害者専用のインフラを作り上げることは非現実的だろうと認識しており、“仮想的な点字ブロック”を作ることで、視覚障害のある人の歩行をサポートすることを考えたのが、そもそもの始まりだった。
しかし、点字ブロックは道の安全な場所や危険な場所を示して歩行を補助することはできても、目的地までの道順は示してくれない。もともとの“仮想的な点字ブロック”を実現する上では足裏に振動を与えることを検討していたが、そこからさらに発展し、足全体に立体的に振動を伝えることで道順をナビゲーションするシステムとして生みだされたのが、あしらせなのだ。
常に取り付けておける手軽さ
一方、歩行をナビゲーションするシステムであれば足以外にもさまざまなツールが考えられる。例えば音声だ。その問いに対し千野氏は「視覚障害のある方の7〜8割は弱視と言われており、全てが見えないわけではなく保有視力で安全確認をしているケースがあります。そうした安全確認を行う際には、聴覚も重要視しています。周辺の音を判断するのはもちろん、白杖で道をたたいて音を出し、壁までの距離を測るといったことも行っているそうです。こうした理由から、白杖にセンサーを付けることもやめました。視覚障害のある方は障害物や道の段差などを白杖によって判断しているため、白杖は軽く頑丈で使いやすく、手にきちんと反響が返ってるツールであることが望まれています。視覚障害者の方々は『白杖は私たちの目なんです』と話しており、その安心感を与えるツールにセンサーなどを取り付けるのは避けるべきだと判断しました」と検討の経緯を語る。
同様に、体にセンサーを装着する場所もさまざまな検討を重ねたという。当初の“仮想的な点字ブロック”では足の裏を情報取得部位(インターフェース)とする予定だったが、ヒアリングを重ねる内に、視覚障害者の歩行では足の裏で物理的な点字ブロックや段差などの道の情報を取得していることを知った。振動の情報を得やすく、視覚障害者のこれまでの情報取得部位と干渉しない体の部位として最後に候補に挙がったのが、足の甲と腰だったという。最終的に、靴に取り付けておける手軽さから、現在の足に落ち着いた。
安全確認に集中できる
こうしたユーザービリティの工夫は、あしらせのアプリケーションにも反映されている。一般的なナビゲーションアプリは、GPSの誤差などで歩いている場所と異なる場所にいると認識され、新しくルートを生成するケースがある。マップを視覚的に確認できる健常者であれば、誤差による物だと判断できるが視覚障害者はその判断が難しい。そこであしらせのアプリでは、GPSに誤差が生じてもユーザーが混乱しない移動情報の生成に対応している。
あしらせを使うことで視覚障害者は安全に、集中して歩くことが可能になる。センサー側の振動に任せて歩いて行けば目的地に到着するため、周辺の安全情報に気を配ることに集中できるからだ。従来であれば進む道を逐次確認しながら、歩道の安全にも配慮する必要があった。両方に気を配っていると確認がおろそかになり、事故の原因になりやすい。また、あしらせのナビゲーションにより、歩き出す時間も短縮できるようになる。千野氏は「人によっては、歩き出すのに1分近くかかる場合があります。それがあしらせを利用すると5〜6秒で歩き出すことが可能になるのです」と活用の効果を語る。
あしらせは2022年度中の販売開始を予定しており、現在プロトタイプの制作や実証を進めている。販売ターゲットについてはBtoCのほか、視覚障害者を雇用する企業に向けたBtoB提案も進めていく予定だ。また、スマートフォンを確認せずに移動する方向を判断できるあしらせは、健常者向けにも市場可能性がある。例えば人を誘導するアルバイトスタッフの靴にあしらせを装着し、誘導場所までのルートをアプリに登録すれば、誘導先の場所をアルバイトスタッフが知らなくても案内が可能だ。業務時にスマートフォンが使いにくい現場での活用が期待できるだろう。