ロボットとのコミュニケーションでスマホのUIの進化の可能性を探る
〜『RoBoHoN(ロボホン)』(シャープ)〜前編
2015年10月のCEATECに登場し、2016年5月に発売された身長約19.5㎝のモバイル型コミュニケーションロボット「RoBoHoN(ロボホン)」は発売から7年たった今も進化を続けており、既存のファンに加えて新たなファンも獲得している。市場での賞味期限が非常に短いデジタル製品にあって、7年ものロングセラーを続けられるのはなぜなのか。シャープでロボホンを生み出し、「ロボホンの母」と呼ばれている景井美帆氏をお招きした。
学生の頃から携帯電話が好きすぎて
携帯電話の仕事をする夢をかなえる
角氏(以下、敬称略)●今年5月に「RoBoHoN(ロボホン)」の生誕(発売)7周年をお祝いするオーナーイベント「持続可能なロボホンとの生活」が開催され、ChatGPTと連携した専用アプリ「お話作ろう」の提供開始も発表されるなど、いまだに進化を続けていますね。しかもイベントは東京をメイン会場に広島(東広島市)と新潟(中魚沼郡津南町)の三つの会場を連携して開催したそうですね。これだけ多くのファンに長年にわたって支持され、さらに新規のファンも獲得しています。今回の前編では景井さんがロボホンにたどり着くまでのお話を聞かせてください。そもそもシャープに入社した理由は何ですか。
景井氏(以下、敬称略)●ありがとうございます。うちの子を褒めていただいて、ロボホンの母としてとてもうれしいです。
私は携帯電話が好きで、大学生の頃から新機種が出るたびに買い替えるマニアでした。仕事でも携帯電話に携わりたいと希望し、携帯電話のメーカーや通信事業者への就職を目指し、シャープに採用していただきました。しかもシャープに入社して、大好きな携帯電話の商品企画に携わることができ、とても幸せです。
大学生の頃から携帯電話のマニアでしたが、携帯電話のデビューは大学2年生と遅咲きでした。大学1年生の頃は携帯電話を持っていなかったため友達との連絡が不便で、携帯電話を持っていないことがストレスの原因となるほど携帯電話が欲しくてたまりませんでした。そして大学2年生になり、ようやく携帯電話を持つことができました。
せっかく憧れの携帯電話を持てたのだから、新しい製品をどんどん使ってみたいと思うようになり、次々と新製品に買い替えていました。当時はカメラも搭載されておらず、液晶もカラー表示ではなく、今のスマートフォンと比較するととてもシンプルな仕様でしたが、それでも新しい製品を手に入れるとうれしかったですね。
角●その気持ちよく分かります。私も同じ時期に就職しましたが、景井さんと同じように新しい機種の情報がインターネットに出回るとスペックや機能をチェックして、製品が発売されて実物を見ることを楽しみにしていました。
景井さんは使う側から作る側にいけて、仕事が楽しくて仕方がなかったのではないですか。
景井●はい、めちゃくちゃ楽しかったですし、今も楽しいです。入社して最初の2年くらいは携帯電話にも携わりましたが、PHSがメインの仕事でした。当時、マーケットが携帯電話への移行時期だったこともあり、比較的自由に仕事をさせていただきました。例えばBluetoothをPHSにいち早く搭載したりするなど、意欲的な製品を開発し続けました。
当時は技術的に携帯電話の進化の余地が大きく、カメラの画素数を増やしたり、テレビ機能を付けたり、液晶パネルの大きさや解像度を上げていったりするなど、機能を進化させることでお客さまに価値を提供できました。ところがその進化も2000年代後半から成熟期を迎えた感が出てきて、新しい価値の提供が課題になってきていました。
本格的なスマホ時代の到来に向けて
キーボード搭載の端末で可能性を問う
角●携帯電話、いわゆる「ガラケー」の形状ではユーザーの好奇心や期待に応えられなくなった時期ですね。2007年には初代iPhoneが発売され、スマートフォンの時代が訪れました。そうした中でシャープではどのようなアプローチで携帯電話に新しい価値を加えたのですか。
景井●当時、ブログも流行っていましたし、ネットブックと呼ばれたコンパクトなノートPCも市場に出回っていたことから、スマートフォンにキーボードを組み合わせたAndroidスマートフォン「IS01」を商品化しました。
IS01は若い女性がブログ端末として使うことを想定して、片手でも両手でも入力できるサイズ感のQWERTYキーボードを採用し、液晶パネルを折りたたむクラムシェル型のボディデザインで提供しました。筐体のデザインは、当時INFOBARを手がけたプロダクトデザイナー、深澤直人さんが担当し、手になじみやすい、やや丸みを帯びたボディデザインが特長でした。
角●IS01には高級感があり、意欲的な製品だったことを覚えています。
景井●ありがとうございます。当時、携帯電話開発の第一線で活躍していた技術者たちがIS01のプロジェクトを担当し、さらにオープンプラットフォームの知見があるPDA(Personal Digital Assistant:個人向け情報端末)製品の「Zaurus(ザウルス)」の開発メンバーも加わり、半ば当時のシャープのモバイル製品開発の総力を挙げてIS01の開発に取り組み、生まれた製品なんです。
角●IS01にはアプリやコンテンツがたくさん搭載されていたのも特長でしたね。当時人気の高かった「セカイカメラ」(頓智ドットが開発し、無償提供していた拡張現実(AR)ソフト)にも対応していましたよね。
景井●IS01はオープンプラットフォームであるAndroidを搭載していましたので、それを生かしていろいろなコンテンツやアプリ、サービスを提供したいという思いがありました。当時の携帯電話は通信事業者がサービスやコンテンツを提供するビジネスモデルが一般的でしたので、面白いコンテンツや便利なサービスをメーカーが先導して生み出していきたいと考え、独自の拡張部分を開発者に公開したり、開発コミュニティーの活性化に力を入れたりしました。
角●当時、メディアはIS01を評価しており、ガジェット好きな人たちの関心も高かったと記憶していますが売れ行きはどうでしたか。
景井●IS01は先進的といいますか、ユニークといいますか、特定のターゲットに受け入れられそうな商品でしたので、市場に対して現実的な目標を設定して販売しました。目標に対しては想定通りの売れ行きだったと思います。
IS01のような新規のプロジェクトを成功に導くのはとても困難な仕事です。しかしIS01に関しては通信事業者の担当者の方々も新しいマーケットを作っていこうという意欲を持たれていて、二人三脚でうまく進められたプロジェクトだったと自負しています。
次回の後編では景井氏がロボホンを生み出す経緯と、ロボホンの進化とそのビジネスの進展について話を進めていきます。