人的資本経営とは各社員が持つ異なるスキルを把握し、そのスキルを発揮させて自社のビジネスに貢献してもらうことで企業の成長につなげる人事マネジメントだ。昨今の深刻化する人手不足と技術革新に伴い、人的資本価値が向上し、人的資本経営を実践する機運が高まっている。人的資本経営を進める上で、どのようなことが求められているのか。どうやらテクノロジーの活用が鍵を握っているようだ。

Introduction
人的資本経営の真の意味と目的は何か
今すぐに取り組まなければならない理由は何か

中小企業にこそ必要な人的資本経営
ISO 30414にのっとった取り組みから始める

数年前から日本でも「HRM(Human Resource Management:人的資源管理)」や「HRテクノロジー(Human Resources Technology)」という言葉が多用されるようになり、本誌の2016年11月号の巻頭特集でも取り上げた。では「人的資本経営」はHRMやHRテクノロジーと違うものなのか、人的資本経営に取り組む必要性は何か、日本におけるHRテクノロジーの先駆者であり、日本の人的資本経営の研究を先導する慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科の岩本 隆氏に話を伺った。

人的資本経営は「企業は人なり」の実践
人に対するデータ活用が前提となる

「企業は人なり」という有名な格言がある。この言葉を言ったのは、経営の神様と言われた松下幸之助氏だとされている。日本人の多くが知る格言だが、この言葉が意味することは何か説明できる人は意外と少ないという。

 岩本 隆氏は「企業は人材で成り立っており、人材を大事にしなければならないという意味と捉えて、雇用を守るための姿勢のように理解されているケースが多く見受けられます。しかし、松下幸之助氏のこの言葉の真意は『人にはそれぞれの才能があり、その才能を発揮して活躍することで人は成長する。人が成長すれば企業も成長する』ということだと考えています。人的資本経営も同様の取り組みです」と説明する。

 日本の多くの企業では、社員は同じように育ち同じように昇給していく、いわば「金太郎あめ型」の人事マネジメントが行われていると岩本氏は指摘する。しかし、これから成長する産業の特性を鑑みたときにプロスポーツ型の人材マネジメントに変えていかなければ、グローバルで生き残れる競争力を身に付けることはできないと警鐘を鳴らす。

 人的資本経営とは各社員が持つ異なるスキルを把握し、そのスキルを発揮させて自社のビジネスに貢献してもらうことで企業の成長につなげる人事マネジメントだ。その前提として個人の異なるスキルを評価して、その貢献に応じて報酬に反映する制度が必要だ。ただし岩本氏は「評価基準を決めるには基礎となるデータが必要です。データがなければ評価はできませんし、評価や報酬に対して本人に納得してもらえません」と指摘する。

 岩本氏によると「人事でデータを活用するという話をすると新しく聞こえるかもしれませんが、人に対してデータを活用するという観点ではプロスポーツの世界では以前より常識となっています」と説明する。例えば米国のプロ野球組織であるメジャーリーグに所属する各チームでは、データを緻密に収集し、それを分析してトレーニングや試合に活用していることが知られており、学問や研究対象として確立されている。日本の大学でも「人間科学部」の創設が増えているという。

図表提供:岩本 隆氏

HRテクノロジーと人的資本経営の違い
人事から経営層への課題に変えた

 プロスポーツは万を超えるパラメータが扱われるが、それでも100%の精度を得るのは困難だという。個人のスキルや仕事への貢献を見える化するには、かなり大規模なビッグデータを収集、蓄積して分析する必要がある。従来は企業が1社で取り組むのは難しかったが、現在はクラウドで提供されるコンピューターリソースやストレージ容量を利用すれば、比較的低コストで実現可能だ。

 人的資本経営の実践について、こうしたデータやテクノロジーを活用した人材マネジメントのアプローチを聞くと、従来のHRテクノロジーと何が違うのかという疑問が聞こえてくる。実は人的資本経営はHRテクノロジーと同じ延長線上で進展している取り組みだと理解してもいいだろう。

 その理由はこうだ。日本政府は日本の産業を強靭化すべく、2017年から産業人事政策としてHRテクノロジーを推進し、企業にも注目された。HRテクノロジーのアプリケーションは世界では「HCMアプリケーション」と呼ばれている。HCMはHuman Capital Managementの略であり、以前は「ヒューマンキャピタルマネジメント」とカタカナで表記されることが多かったが、漢字の「人的資本経営」と訳したのが日本で流行った。

 またHCMに関して、人材マネジメントを測定するための国際規格がISOで策定されている。2024年3月時点で31の国際規格文書が出版されているが、その中の一つである「ISO 30414」が世界の人的資本開示の政策に影響を与えている。

 岩本氏は2020年10月に日本初のISO 30414リードコンサルタント/アセッサー認証を取得した。さらに日本は人材マネジメントの専門委員会「ISO/TC 260」のPメンバー(Participating member)となり、岩本氏は国内審議委員会の副委員長としても活動している。

中小企業の最大の課題は人手不足
人的資本開示が採用につながる

 ISO 30414は人的資本経営への取り組みを、データで内部および外部へ報告するためのガイドラインだ。ISO 30414では11の人的資本領域を設定し、各人的資本領域において測定基準となる「メトリック」を定義している。現在は11領域で合計58のメトリックがあり、それぞれをデータ化して内部の従業員や外部の投資家などのステークホルダーに報告する。

 現在、日本でISO 30414の認証を取得している企業は10社ほどだが、認証を取得する機運が高まっており、今後は増加が続くとみられる。またISO 30414の認証を取得していない企業も、ISO 30414にのっとって人的資本開示を行っているという。ちなみにISO 30414のメトリックは基本的なものが中心であり、独自のメトリックを加えて自社の取り組みを差別化してアピールしても問題はない。

 人的資本経営を実践する際に、何から始めていいのか分からないというならば、ISO 30414で設定されている11領域と合計58メトリックでデータを収集して評価することから始めるべきだろう。まずは11領域で収集したデータをメトリックに基づいて評価し、その結果から自社のビジネスに大きな影響を及ぼすテーマを抽出し、優先順位を付けて取り組みを始めることが効果的だと岩本氏はアドバイスする。

 さらにインプットだけではなく、アウトプットも重要だと岩本氏は続ける。現在のISO 30414では、人的資本の現状を見える化するものだが、今後は人事マネジメントの施策がどれほどの効果を出しているのか、アウトプットの開示も求められるようになると指摘する。

 岩本氏は「人的資本開示は中小企業にこそ求められます。なぜなら中小企業の最大の課題は人手不足であり、人的資本開示をしなければ採用できません。例えば就職活動をしている学生が就職先を探すときに、自身が活躍できるのか、それが評価されるのか、それによって成長できるのかということを企業に求めるわけですが、その判断に必要となるのが人的資本の情報です。今後は人的資本開示をしていない企業は、採用できないと考えるべきです。人的資本経営への取り組みは早いほど有利です。なぜなら今のデータだけでは改善しているのかが判断できないからです。数年分の情報が開示されていれば、人的資本への取り組みが進んでいるのかが分かり、改善がアピールできれば選んでもらえる企業になれます。できるだけ早く人的資本経営を実践すべきです」とアドバイスする。


PROFILE
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科
特任教授 岩本 隆
東京大学工学部金属工学科卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院工学・応用科学研究科材料学・材料工学専攻Ph.D.。日本モトローラ、日本ルーセント・テクノロジー、ノキア・ジャパン、ドリームインキュベータを経て、現職。2020年10月に日本初のISO 30414リードコンサルタント/アセッサー認証を取得。2023年2月に日本がISO(国際標準化機構)の人材マネジメントの専門委員会「ISO/TC 260」のPメンバー(Participating member)となり、国内審議委員会の副委員長としても活躍している。HRテクノロジーや人的資本経営の著書も多数ある。

Research report
日本IBMの調査レポートから見る
国内企業の人的資本経営の現在地

2023年3月期決算以降、有価証券報告書を発行する国内の企業約4,000社を対象に人的資本の開示が義務化された。人的資本の開示は「比較可能性の観点から開示が期待される事項」(以下、比較可能性)および「独自性のある取り組み・指標・目標」(以下、独自性)の両方をバランス良く開示することが求められている。その一方で、人的資本の情報開示に対して難しさを感じている企業も少なくない。日本アイ・ビー・エム(以下、日本IBM)が2023年11月16日に公開した人的資本経営の調査レポート「人的資本経営推進と戦略的開示に向けて」から、人的資本経営に向けた日本企業の現状と課題を見ていこう。

※人的資本情報の開示内容が、自社の競争力を適切に示しているかどうかについて「強くそう思う」または「ややそう思う」と答えた回答者が対象(n=221)、複数回答。六つの選択項目のうち、回答割合が最も多かった三つと、「人的資本に関する独自性を十分に示せているから」の回答割合をグラフに表示。
出所:日本IBM

人的資本開示の上での課題は
独自性を表わすこと

 日本IBMの調査レポート「人的資本経営推進と戦略的開示に向けて」では、日本企業の2023年の人的資本情報の開示について、関係者にオンライン調査を実施すると同時に、機関投資家へのインタビューも行った。調査は人的資本情報開示に関わった経営者・役員から、課長クラスを対象に1社1名に実施している。対象となった企業は東証プライム上場240社、東証スタンダード上場69社の計309社だ。

 本調査を実施した背景について、日本IBM アソシエイト・パートナー IBMコンサルティング事業本部 ビジネス・トランスフォーメーション・サービス事業部 金子浩明氏は次のように語る。「当社は以前より、人事データの活用を推進しており、経営戦略と人事戦略の連動を強く意識してきました。また、それに加えて、幅広い業種のお客さまの組織や人財変革の支援をしてきた経験があります。そうした背景もあり、お客さまから人的資本への投資や、情報開示に関する問い合わせを多くいただいています。人的資本の情報開示は欧米から始まりましたが、日本にも導入され、開示元年である2023年に日本企業における人的資本経営の開示および投資、実践状況を調査したレポートを発行しました」

 人的資本の開示では、比較可能性と独自性の二つをバランス良く説明する必要がある。比較可能性の人的資本の情報開示について、同レポートでは2023年に開示予定の情報を調査している。その中では企業が幅広い項目をカバーしている状況が見え、半数以上が「コンプライアンス/倫理」「ダイバーシティ(女性管理職比率を含む)」「育児休業(男性の育休取得率を含む)」の項目を開示する予定だと回答した。これらの項目は、人的資本の情報開示以前から、コーポレート・ガバナンスや人権擁護の観点で開示が求められていた項目だ。

 一方で、機関投資家が求めている人的資本投資の独自性を表すことについては多くの企業が意識をしていないことが分かり、「人的資本情報の開示内容が、自社の競争力を適切に示している理由」を問う内容に対して、「パーパスや経営ビジョン、経営戦略と人的資本に関する情報の関係が十分に示せているから」と回答した割合が55%、「開示を推奨されている項目を全て満たしているから」と回答した割合が53%であったのに対し、「人的資本に関する独自性を十分に示せているから」と回答した割合は23%と少ない結果だった。また自社の開示内容が人的資本の競争力を適切に示していないと考える企業は全体の1割未満だったが、その理由として「独自性を示せていないこと」を挙げたのは39%であり、最も多い結果となった。

「比較可能性をある程度満たしている半面、独自性が十分に示せていないのは、やはり人事戦略と経営戦略の足並みがそろっていないことが背景にありそうです。独自性に関しては、企業として奇をてらったことをする必要はなく、改めて中長期的な経営戦略と、人材戦略をアライメントさせることが、独自性の開示につながるでしょう」と金子氏は指摘する。

※(n=309)(製造業:n=145、金融業・保険業:n=38、IT/通信業:n=26)、複数回答。19の選択項目のうち、全回答者の回答割合の合計が多い上位5項目をグラフに表示。三つの産業セグメントに分類して傾向を比較。
出所:日本IBM

企業ごとの捉え方に差がある
ダイバーシティの推進

日本IBM
金子浩明

 調査の中で特徴的な結果を示した項目として、金子氏は「ダイバーシティ」の項目を挙げた。「人的資本経営を推進する上で力を入れていることとして、『ダイバーシティの推進(情報追加項目を含む)』を挙げている企業は全体の40%と多く、売り上げや利益を生むことに最も強い関係がある要素としてもダイバーシティは25%と上位3位に位置しています。その一方で、取り組みが難しいと感じている項目でも『ダイバーシティの推進(情報追加項目を含む)』は33%と首位の回答でした。また、開示が義務化された19項目の設問中、「収益に貢献する項目(上位3つ選択)」の設問で上位の回答は、「収益に貢献しない項目(上位3つ選択)」の下位になり、その反対に「収益に貢献しない項目」の上位は、「収益に貢献する項目」の下位になっている傾向があります。しかし、ダイバーシティは例外的に、収益に貢献する項目と貢献しない項目の両方で上位になっていました。これは企業が全体的にダイバーシティに後ろ向きであるというよりも、ダイバーシティを『企業価値向上』と捉えている企業と『リスクマネジメント』と捉えている企業の二つのグループが存在していることを示しています」(金子氏)

日本IBM
加藤翔一

 一方で、ダイバーシティを企業価値向上と捉えている企業グループでは、採用の強化や育児休業の推進、コンプライアンス/倫理強化などを同時に推進している傾向が見られた。特に育児休業の推進は、企業の女性活躍を進める上で重要となる取り組みだ。「人的資本とは人に備わった才能や知識、技能です。企業価値を向上させるためには、世界中から自社に必要な才能を分け隔てなく集め、それを発揮してもらう環境を整備することが重要です。一方で女性活躍が進んでいない企業は、人口の半分を占める女性が持つ才能を集めにくくなっていたり、採用した女性の才能を生かせなかったりと、多大な機会損失につながっている可能性が高いでしょう。だからこそダイバーシティをリスクマネジメントの観点で捉えている企業は、ダイバーシティ推進の捉え方や視点を広げる必要があります」と金子氏は警鐘を鳴らす。

 また日本企業が人的資本経営を進める上での課題として、金子氏は「旧来的な日本的人事慣行」の影響を指摘し、次のように続けた。

「人的資本経営における取り組みの難しさの一つに、『サクセッション(後継者育成)の強化』を挙げる企業が多くありました。特にリーダーシップや育成、スキル/経験などの項目と比較して取り組みが進んでいないことに加え、売り上げや利益との関係についての認識も低い結果でした。この背景には、サクセッションプランに対する重要度の認識が低いことに加え、日本企業の特徴的な雇用形態(終身雇用制度)や昇進のシステム(遅い昇進や、同期同時期昇進)、人事部主導の人事異動などの存在があるでしょう」

センシングデバイスの活用で
従業員のスキルを可視化する

 人的資本経営の取り組みを強化していくためには人事データの活用が不可欠だ。日本IBM アソシエイト・パートナー IBMコンサルティング事業本部 タレント・トランスフォーメーション 加藤翔一氏は「日本企業はどの職場(部署)を経てきたという情報は蓄積されている一方で、そこで得た経験やスキルは人事データに反映されていないケースが多くあります。これからのタレントマネジメントシステムでは、人事システムの中にある異動発令履歴などからデータの整備を着手しつつ、資格などの他社でも通用するような、明文化されたスキルだけでなく、営業成績データなど人を取り巻くデータを多角的に集めていくことが必要です」と指摘する。

 人を取り巻くデータの取得では、センシングデバイスの活用も有効だという。例えばコロナ禍で普及したWeb会議では、カメラを活用して従業員の表情を撮影している。その表情や瞬きの回数、音声データなどから、従業員の傾聴力が分かる。またオフィス家具にビーコンを設置すれば、従業員の動線をトレースし、その行動を基に従業員自身のコミュニケーションスキルなどを可視化できる。加藤氏は「人的資本理論を提唱したゲーリー・ベッカー氏は特定の企業の中でのみ価値を生み出すスキルを『企業特殊的資本』と定義しています。センシングデバイスを活用することで、よく部長席に移動している人は、答申を具申したときに通りやすいといった傾向が可視化できるでしょう」と述べる。「このようなスキルは技術職の資格のように他社でも通用するスキルではなく、企業特殊的資本に当たります。従来のタレントマネジメントスキルは、全社のスキル管理を主としていましたが、人的資本経営を実現していくためには、後者のコミュニケーションスキルや傾聴スキルのような、企業特殊的資本の可視化が重要になるでしょう」と金子氏は指摘する。

 企業は自社の人的資本の可視化とともに、その資本効率を最大化していくことも求められる。調査レポートの中では「自社に関して、人的資本の資本効率を最大化する上で、効果が高いと思う項目」について調査しており、「管理職のマネジメント能力」「リスキリング」や「次世代リーダー(幹部候補)育成」の充実が上位に挙げられた。特に管理職はメンバーを成功に導くためのマネジメント能力が不可欠であり、それは従業員のエンゲージメントスコアにも表れるという。一方で、そのマネジメントをサポートするための仕組みも必要であり、メンバーの状況を把握するためのデータの整備も求められる。

※(n=309)、複数回答。「その他」の頂目はグラフに表示していない。
出所:日本IBM

AIを拡張労働力として使い
人間ならではのスキルを伸ばす

 生成AIをはじめとしたAIの登場により、リスキリングの必要性はさらに高まっている。日本IBMではAIによる拡張労働力に対するグローバル調査レポートの日本語版「自動化とAIが導く『拡張労働力』の世界」も2023年11月16日に発表しているが、本調査の対象となった経営層は、AIと自動化の導入に伴って、今後3年間で従業員の40%にリスキリングが必要になると見込んでいるという。また、生成AIをはじめとしたAIや自動化技術の台頭によって、リスキリングで求められるスキルにも変化が起こっている。

「従業員に今日求められる最も重要なスキル」を調査したところ、2016年に41%でトップになっていたSTEMのスキルが2023年では28%と12位に転落している。2023年のトップとなっているのは、時間管理および優先順位付けのスキルで、7位だった2016年の33%から42%に伸長している。

 加藤氏は「生成AIを使いこなすにはテクノロジーのスキルが求められると思われがちですが、生成AIは市民化したテクノロジーと言えます。つまり使い勝手が向上したことで、技術スキルが乏しい従業員でも使いこなせるようになっており、日常的な雑務などを任せられる拡張労働力に位置するテクノロジーです。そうした環境の中で従業員は、問題解決やコラボレーションといった、人間固有のスキルを強く求められるようになっています。一方で、これらのスキルのリスキリングを実現するためには、時間の捻出が必要です。その時間を捻出するために生成AIを拡張労働力として使用したり、企業側である程度調整を行ったりといった仕組みが必要となるでしょう。特にマネージャー職は、もう一段階キャリアを進めていくためにリスキリングが不可欠な半面、『重要だけど緊急ではない』タスクとして後回しにされがちです。人的資本効率の最大化に向けて、よりリスキリングしやすくなる環境の整備が必要でしょう」と指摘する。

 IBMでは、実際にAIと自動化による拡張労働力によって、人事部門の作業時間削減を実現している。何万人もの従業員のデータを単一のシステムに統合した上で、ダッシュボード上に従業員データをまとめ、管理職が従業員の成果や個人の目標達成のサポートを行いやすくするためのデジタル・アシスタントの運用を実施した。このような拡張労働力はあくまで人間のサポートとして機能し、意思決定は人間が行う点がポイントといえる。「人事部門では生成AIの活用も進められています。人事への問い合わせはグローバルで年間100万件ほどありますが、生成AIはそれぞれのアプリの橋渡しをすることで、休暇などの申請をスムーズに行えるようにしています。ほかにも研修や採用面接などで生成AIの活用が進んでおり、人事の領域において非常に親和性が高いテクノロジーです」と加藤氏は指摘する。

出所:日本IBM

日本IBM社内のノウハウを基に
企業の人的資本経営をサポート

 加藤氏が紹介した社内のユースケースや、金子氏が冒頭に述べた人事データ活用のように、同社では以前から人的資本経営に注力してきた。「社内ではダイバーシティが非常に進んでいます。女性活躍の重要性が注目されていますが、社内ではそれを意識しないくらいに自然な組織体制になっています。その人自身の能力が最も生かせるようなポストへのマッチングがなされているだけでなく、希望すれば本人のキャリアが自律的に築けるサポートも受けられます。国籍や性別、年齢を問わずにそうした環境が整備されている側面において、先進的な人的資本経営が実現できていると言えるでしょう」と金子氏は語る。

 加藤氏は「経営戦略と人事戦略がうまく噛み合った人的資本の開示は、機関投資家に対する蓋然性のアピールにつながります。例えば5年後に向けた戦略計画を示す場合でも、毎年人事施策として実施した事柄が人的資本開示によって見えてくると、今後の経営戦略への結び付きや展開が見えてきます。自社の持続的成長を説得するため、経営戦略と人材戦略の足並みがそろった企業価値向上ストーリーとして、人的資本の開示を進めることが、より良い成長戦略へとつながるのではないでしょうか」と指摘した。

 日本IBMでは、上記のような実践で得られた知見を通じて確立した方法論を基に「人的資本経営コンサルティング包括サービス」の提供を2023年4月14日に発表している。本サービスの利用企業について「ニーズとして多かったのは、企業価値向上のストーリーを一緒に作るサポートです。人的資本の開示の中で求められる比較可能性や独自性の項目の中から、開示すると良い項目などを話し合うことも多くありました。当社はもともと企業さまの基幹システムを守ってきた歴史もありますので、データを開示していく中で準備するべき事柄のバランスを見ながら、お客さまのサポートを進めています」と加藤氏は締めくくった。