今読むべき本はコレだ! おすすめビジネスブックレビュー 第30回

台湾コロナ対策を成功させたデジタル相オードリータン自伝


『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』
オードリー・タン著/プレジデント社

2020年に全世界を襲った新型コロナウイルス(COVID-19)の封じ込めに成功した台湾。その中心的な役割を担った若きデジタル担当閣僚が、本書の著者オードリー・タンだ。コロナ対策成功の秘密やデジタルと民主主義について、デジタルと教育、AIと社会・イノベーションなどについて語る。

文/土屋勝


台湾の新型コロナ対策を主導したオードリー・タン

新型コロナ感染が始まり、最初の緊急事態宣言が出された昨年春、日本国内ではマスクが店頭から姿を消し、オークションサイトなどで高値転売されるなど、日本国民はマスク不足に苦しんでいたが、同じころ台湾ではスマホアプリを活用することで、市民は1人3枚まで平等にマスクを購入できる、という制度が作られるなど、新型コロナウイルス対策が功を奏し、台湾は新型コロナの封じ込めに成功した国として有名になった(2021年3月30日時点で、台湾の累計感染者数は1,022人、死者数は10人)。このマスクの購入システムでは、全民健康保険カード(国民保険証)を使って実名販売することにより、買占めできないようにするとともに、どこのコンビニや薬局にマスクがあるのかという情報を共有するためのスマホアプリ「マスクマップ」をボランティアが開発し、これを政府が後押しして広く活用できるようにしたことなどが日本でもよく知られている。こうした政策の陣頭指揮を取った一人がオードリー・タンだ。

オードリー・タンは、1981年4月18日台北市生まれ。この記事が公開されるころには40歳になっている。35歳という若さで台湾のデジタル担当政務委員(大臣に相当)に就任した。天才ハッカー、中学中退、史上最年少閣僚、さらにはトランスジェンダー(自認する性別と身体的な性別が一致していない人)ということでも注目を集めた。東京都公式COVID-19対策サイト・言語選択ラベルの「繁体字」の表記を「繁體字」に改めるというプルリクエストを出したことも、話題になった。

学校の授業はウェブの知識より10年遅れていると中学を中退

タンは先天性の心臓疾患を持っており、幼いころには成人できるかどうかさえ危惧されていた。12歳のときに台湾大学の学術ネットワークを通じてインターネットと出会い、世界中で著作権保護が終わっている古典を公開するグーテンベルク・プロジェクトに参加し、英語でさまざまな文献を読み漁った。このとき、簡体字と繁體字を変換するプログラムを開発し、フリーソフトウェアとして公開している。

14歳で中学を中退し、インターネットを使って自然言語処理に関する研究を始めた。大学教授ら多くの研究者たちと交流し、学校の授業で学ぶ内容がウェブで学べる最先端の知識よりも十年ほど遅れていることに、すぐに気づいたという。「学校へ行くより、直接ウェブから学べばいいのではないかと考えるようになったのです」と、刺激的な言葉を述べている。

15歳のときに台湾で出版・ソフトウェア開発を手掛ける会社を、18歳になるとアメリカ・シリコンバレーに渡ってソフトウェア会社を起業。その後、アップルやオクスフォード出版、BenQなどのデジタル顧問を務めた。アップルでは中国語辞書をアップル製品に搭載したり、Siriに上海語を喋らせるプロジェクトなどに関わった。

台湾民主化とともに歩む

台湾は1947年から1988年に李登輝が総裁に就任するまで、蒋介石・蒋経国による中国国民党独裁政治体制だった。1981年生まれのタンは幼少時を戒厳令下(1987年解除)で過ごし、1990年3月の野百合学生運動(三月学生運動)に始まる台湾民主化の中で育っていった。

台湾はすでに国民党と民進党の間で何度かの政権交代を経験し、女性総統が選出され、同性婚が認められている。タン自身、男性として生まれたが性自認に違和感を持ち、20代でトランスジェンダーであることを自覚した。25歳のときに名前を唐宋漢(タン・ツォンハン)から唐鳳(タン・フォン)に、英語名を男女どちらにも使えるオードリー・タンに変えた。

タンが直接政治と関わったのは2014年3月、中国とサービス貿易協定を結ぼうとした政府に対し、抗議する学生が立法院(国会)を3週間にわたって占拠した「ひまわり学生運動」だった。立法院内の様子をネットでライブ配信するシステムを立ち上げ、3週間で4つの要求をまとめ、立法院議長に提出した。議長はその要求が正当であることを認め、受け入れた。

これをきっかけに官民で対話の機会が増え、国民の政治参加が実感された。タンは「どれか一つの主張を選択するのではなく、それぞれの主張の隔たりを明確にして議論を活性化し、そこから共通の価値を見つけることを促す」ことが自分の政治的スタンスであると述べている。

台湾でのコロナウイルス対策成功のカギは国民と政府の信頼関係にある

台湾で新型コロナウイルス対策が成功したのは、国民が政府に強い信頼を持っていたことだ。その源泉の一つが政府の政策審議過程を徹底的に透明化し、デジタルを用いてオープンにしていること、すなわち「デジタル民主主義」があるからだという。国民が政府を信頼していなければ、刑罰や罰金、ロックダウンといった強制力に頼ることになる。だが、台湾では政府は国民を信頼し、自発的に協力してくれることを求めた。国民は政府を信頼して自発的に協力した。

台湾にはデジタル省、デジタル庁といった機関は存在しない。タンは政府内においてデジタルを用いて問題のシェアあるいは橋渡しをする仕事を担当しており、その成果の一つが国民参加型で政策について討論するインターネットプラットフォームの構築だ。このJoin(join.gov.tw)というプラットフォームには、約1,000万人のユーザーが参加し、これまでに2,000件以上の政府プロジェクトについて議論し、それが政策に反映されてきた。Joinでは「二か月以内に5,000人が賛同した場合には、必ず政府が政策に反映する」というルールまである。これがタンの考える「デジタル民主主義」であり、政府と国民が双方向で議論できることがデジタル民主主義の根幹だという。

持守的なアナーキストと「交換様式X」

タンは「アナーキスト」を自認しているが、国家を打倒することを目指す無政府主義ではなく、非暴力で強制や脅迫、主従関係を否定する「保守的なアナーキスト」なのだ。さらに言えば保守というよりは中国語で「自分の意思を堅持する、貫く」という意味の「持守(じしゅ)」に近いともいう。保守はときに排他的・攻撃的な意味を持つ。「他の人が新しい物事を試すことを許さない」のが保守であるなら、「私は保守派ではありません」。持守は攻撃的な意味を持たず、傍観者でもなく、たとえば守りたい伝統文化について、他人を巻き込んで維持していきたいと述べている。

アナーキストつながりというわけではないのだろうが、日本の哲学者であり、アナーキストでもある柄谷行人からの影響も大きいという。互酬(贈与と返礼)、再分配(略取と再分配)、商品交換(貨幣と商品)という既存の交換様式を越える「交換様式X」をデジタルの力で実現できないかと願っている。互酬がネーション、再分配が国家、商品交換が資本と結びついているように、交換様式Xは柄谷がずっとテーマとして掲げている「アソシエーション」という、現在の地球においては存在していない社会様式の中で実現する。「見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン」だ。タンによれば「オープンで、かつ無償の交換を行う」ことになる。相互に信頼を得てからシェアするのではなく、「みんなとシェアする過程で、あらゆる人とお互いの信頼関係を築いていく」ベクトルとなる。柄谷と台湾でのイベントで同席したとき、「イーサリアムやビットコインのように世界中の不特定多数の人々が組織化し、そのプラットフォーム上で交換が行われる暗号通貨などのような新しい分散型交換モデルは、交換モデルXの実現と捉えてよいのか」と尋ねたという。柄谷の答えはどうだったのか。

本書を読んでいるとデジタル民主主義を進める台湾と日本の差に呆然としてしまうのだが、戒厳令下の台湾でも人々は希望を失わずに民主主義を求めて闘ってきた。だからこそ、現在のデジタル民主主義国家台湾が実現したのだろう。本書は不合理、差別、閉塞的状況に苦しんでいるさまざまな人に希望を与えてくれる。

まだまだあります! 今月おすすめのビジネスブック

次のビジネスモデル、スマートな働き方、まだ見ぬ最新技術、etc... 今月ぜひとも押さえておきたい「おすすめビジネスブック」をスマートワーク総研がピックアップ!

『オードリー・タン 自由への手紙』(オードリー・タン 著/講談社)

次代の世界的カリスマとして注目を集める台湾IT担当大臣のオードリー・タンが、日本の若者に向けて語る自由になるためのメッセージ! IQ180超の天才的頭脳、性別なしというジェンダーレス、世界のグローバル思想家100人に選ばれる先見性、新型コロナ対応でわずか3日で全国民にマスクを配るシステムを構築した実行力。どれをとっても、これまでにないタイプの若き指導者の言葉は、新しい時代を生きる指針となるだろう。(Amazon内容紹介より)

『Au オードリー・タン 天才IT相7つの顔』(アイリス・チュウ 著、鄭仲嵐 著/文藝春秋)

コロナウイルスが全世界を席巻するなか、いち早くマスクマップアプリを開発。世界に名を馳せた台湾のデジタル担当相には、逸話が多い。いわくIQ180、学歴は中卒、独学でプログラミングを学び、シリコンバレーで成功した起業家、1ページ0.2秒で資料を読む、トランスジェンダー、学生運動を支持する無政府主義者――ハンドルネーム“Au”で知られる天才シビックハッカーのすべてを、気鋭の台湾人ジャーナリスト2人が徹底解剖する。(Amazon内容紹介より)

『オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと』(近藤弥生子 著/ブックマン社)

台湾在住10年のノンフィクションライターによる、独占インタビュー。オードリー氏が今、台湾政府の中で推進している「ソーシャル・イノベーション」を軸に仕事のしかた、コロナ対策、アイディアを行動に移す方法、人とのつながり方、おすすめのデジタルツール、これからの社会を良くするために何ができるか――?等々を縦横無尽に、ときにはユーモアを織り交ぜながら語っている。台湾と日本の垣根を超えて、アフターコロナに私たち一人一人がどう社会と関わっていけばより良い未来を作れるのか、多くのヒントを示唆してくれる。(Amazon内容紹介より)

『2040年の未来予測』(成毛眞 著/日経BP)

iPhoneが発売されたのは、たった13年前だった。現在、スマートフォンがない世界なんて考えられない。そして、これまでの10年より、これからの10年の方が世界は大きく、早く変わるだろう。この本は、あらゆるデータから導き出されるありのままの未来を書いた。「今日」には、これから起こることの萌芽がある。現在を見つめれば、未来の形をつかむことは誰にでもできる。(Amazon内容紹介より)

『2030年の世界地図帳 あたらしい経済とSDGs、未来への展望』(落合陽一 著/SBクリエイティブ)

落合陽一がはじめて世界と未来について語る。2030年の世界を見通すSDGs。これから2030年までに何が起こるのだろう。未来を予測するためのデータには、さまざまなものがありますが、ひとついえるのは、これからの社会は今までとは全く違ったルールによって営まれるということ。現在の世界はどうなっているのか、これから世界はどこに向かっていくのか。SDGsの枠組みを借りながら、世界の問題点を掘り下げると同時に、今起こりつつある変化について語ります。(Amazon内容紹介より)

筆者プロフィール:土屋勝(ツチヤマサル)

1957年生まれ。大学院卒業後、友人らと編集・企画会社を設立。1986年に独立し、現在はシステム開発を手掛ける株式会社エルデ代表取締役。神奈川大学非常勤講師。主な著書に『プログラミング言語温故知新』(株式会社カットシステム)など。