Special Feature 2

MaaSにつながる
地方公共交通の変革

人の移動に変革をもたらすと言われている「MaaS」(マース:Mobility as a Service)。直訳すると「サービスとしてのモビリティ(移動手段)」を意味するこのMaaSは、地方公共交通に大きな変化をもたらす概念だ。端的に表現するならば、MaaSは自家用車以外の全ての移動手段を、ICTによってつなぐことを意味する。そのMaaSは、概念としては大きなものだが、それを実現するための技術を一つ一つ見ていくと、これまでのバスロケーションシステムやタクシー配車システムの発展と言える。MaaSを実現するためのステップとして、地方公共交通の現場が実際に取り組むICTの活用と、現在MaaSに取り組む鉄道交通の事例を見ていこう。

バスの運行情報に関わる困りごとを解消する“BUSit”

Bus Location

山口県で活用されているBUSit。乗り場や行き先、到着予想時刻などが分かりやすく表示され、バス利用者に好評だ。

——人と街をつなぐ。そう掲げるタウンクリエーションが提供しているのが、クラウド型の高精度なバスロケーションシステム「BUSitバスロケーションシステム」だ。Android端末とクラウドサーバーを用いたシンプルなシステムながら、活用することでバス会社側、バス利用者側双方にメリットのあるシステムだ。

街のバスを使いやすく

タウンクリエーション
代表取締役
前 紅三子 氏

 BUSitバスロケーションシステムは、Android端末とクラウドサーバーを組み合わせたシンプルなバスロケーションシステム。バスの位置情報をリアルタイムに把握できるようになり、バスの運行管理やドライバーサポートに役立てられる。

 BUSitバスロケーションシステムを開発した背景には、開発を手掛けたタウンクリエーションの代表取締役 前 紅三子氏が感じていた一つの課題があった。「当社のある広島県では、路線バスを複数の会社が運営しています。多くのバスが運行されているため、一見利便性が高いのですが、バス会社によっては同じバス停でも向かう方向が異なるなど、利用者にとって必ずしも使いやすいとは言えない状況でした」と前氏は話す。

 前氏はもともと、広島県のバスを日常的に利用する利用者側であると同時に、バス会社のシステム部門に所属するサービス提供者側でもあった。当時から無線通信やGPSなどを活用し、路線バスの運行情報を収集することで定時運行を支援するバスロケーションシステムは他社から提供されていたものの、バス会社が運行管理のため導入しているケースがほとんどであり、利用者側がバスの運行情報を簡単に把握できるサービスはなかった。また、当時はバスロケーションシステム自体が高価であり、バス会社側も導入がしにくいという側面があった。

Android端末を車載機に

 そこで前氏はバスの運行情報をリアルタイムに取得できるサービスとしてBUSitバスロケーションシステムを開発。バスに搭載する車載機にAndroid端末を採用することで、価格を抑えながらバスの運行情報をGPSでリアルタイムに取得できる。通信は格安SIMカードを使用し、コストを抑えて運用可能だ。取得した情報は、バス会社の事務所のPCで運行中、回送中、遅延車両、車番などを表示して把握できる。遅延情報や走行軌跡も確認可能だ。

 バスに搭載したAndroid端末(タブレット、スマートフォン)では、ドライバーサポート機能により遅延の把握だけでなく、早発防止も可能。簡易ナビ機能も搭載しており、間違えやすいルートのナビゲーションや、迂回運行期間の表示などを行い、ヒューマンエラーを防止できる。

 このBUSitバスロケーションシステムで把握した運行情報は、バスの利用者側も確認できる。タウンクリエーションが2015年から提供している「BUSit バスイット」(以下、BUSit)では、バス停にあるBUSitのステッカーの情報を読み込むことでBUSitのWebサイトを表示し、そのバス停にあとどれくらいでバスが到着するのかを把握できるようになっている。ステッカーにはNFC(近距離無線通信技術)タグが組み込まれているほか、QRコードも印字されており、手軽に情報を取得できるのが強みだ。以前は広島地区の多くのバス会社で利用されていたが、コロナ禍の影響でバス会社のコストカットが進み、現在は広島県内一部のバス会社と、山口県内のバス会社での利用が中心となっている。

公共バスからスクールバスへ

 一方で伸びているのが、特別支援学校などの送迎バスでの利用だ。特別支援学校では肢体不自由などの障害を持つ児童生徒が通学するため、通学手段はスクールバスが主だ。しかしコロナ禍によってスクールバス通学における感染症対策も徹底する必要があり、1台当たりの乗車人数を制限し、スクールバスの増便を行うなどの乗車人数の抑制が求められていた。

「特別支援学校のスクールバスは、走行するコースが決まっています。停車するバス停もあり、到着する時間に合わせて児童生徒の保護者がその場所に送迎します。その到着時間をBUSitのシステムで可視化できるようにしました」と前氏。

 また、特別支援学校のスクールバスでは、車椅子の積載数が定まっていたり、座る位置なども調整する必要があったりするなど、公共バスなどと比べて配慮が必要となる場面がいくつもある。そこでタウンクリエーションではBUSitバスロケーションシステム上で、新たに車両に合わせて乗車人数の調整が可能な仕組みを開発した。

 前氏は「スクールバスの車載端末に、“このルートの当日の乗車予約名簿”といったことを表示できる機能も搭載しました。スクールバスに乗車する介助員は、車載端末のタブレットで児童生徒の出欠を取るなど、業務効率化にもつながっています。保護者側もアプリによって自分の子供が乗車するバスが今どこにいるか把握できると好評です」と話す。これらの機能をベースに、現在介護施設向けにも機能開発を進めている。

 MaaSへの取り組みも強化している。「目指すのは、家から目的地までの移動の中で、さまざまな移動手段を用いたDoor to Doorでスムーズに移動できる仕組みです。例えばバスは、一つのバス停でも複数のバス会社が使っており、利用者視点で見ると運行情報がそれぞれ異なるため不便です。その各社でバラバラに管理されている番号を自動採番し、乗り換えを調べたときに利用者側から見ると一つの統一した運行情報に見えるような仕組みを開発し、特許を取得しました」と前氏は語る。この複数のバス会社が同一のバス停を使うことによる不便さを解消したい思いは、BUSit開発の原点でもある。

 前氏は「この特許を活用し、バス以外のさまざまな交通に応用してMaaSの開発を進めていきたいですね」と展望を語った。バスロケーションシステムから始まったBUSitは、これからMaaSの領域に向けて、大きく拡大していきそうだ。

特別支援学校の送迎に活用されるBUSitバスロケ

(左)特別支援学校の送迎スクールバスの運行管理に活用されているBUSitバスロケーションシステム。通過時刻などをリアルタイムに取得し、遅れなどを把握できる。(右)保護者はスクールバスの予約をスマートフォンアプリで行える。出欠席や登下校のどちらで使うかなどを簡単に設定可能だ。

中小タクシー会社の危機を救う配車システム“電脳交通”

Taxi Dispatch

「電脳交通」はPCとネット回線とタブレットだけで使えるクラウド型タクシー配車システム。

コロナ禍で人々の移動が大きく制限された。それによる業績悪化の影響により、タクシー業界のDXは加速している。街の小さなタクシー会社から生まれた「電脳交通」は、そうしたタクシー会社の課題を解決する、クラウド型のタクシー配車システムだ。

誰でも使える使いやすさを意識

電脳交通
パブリックリレーションズチーム
チームリーダー
波多野智也 氏

 2015年12月に創業した電脳交通。同社が提供しているのがタクシーのDXを推進するクラウド型配車システムである「電脳交通」だ。「電脳交通」が生まれた背景には、同社の代表取締役社長 CEO兼Founderの近藤洋祐氏の祖父が経営していた吉野川タクシーの経営危機があった。

 電脳交通 パブリックリレーションズチーム チームリーダー 波多野智也氏は「吉野川タクシーは、所有するタクシーが9台という街の小さなタクシー会社でした。経営していた祖父の具合が悪く、家業をたたむことを検討していたときにUターンで地元徳島に戻ってきた近藤がそれを支えるため、ドライバーとして吉野川タクシーで働き始めました。それが2009年のことです」と説明する。その経営再建にあたり、ITを積極的に活用した中で生まれたのが、現在の電脳交通が提供するタクシー配車システムの原型だ。

 現在同社から提供されている「電脳交通」は、地方の中小タクシー会社が導入しやすいクラウド型のタクシー配車システムとして提供されている。必要なのはPCとネット回線、そしてSIMカードが挿入されたセルラー型のタブレットだけで良い。タブレットはタクシーに設置し、事務所で受けた配車依頼をPCからタブレットに送信することで、ドライバーに配車の指示を出す。タクシーの位置情報の把握などもタブレットのGPSを活用して行っている。

「こだわったのが使いやすさです。近藤が入社した吉野川タクシーもそうですが、タクシー業界で働いているドライバーの平均年齢は60歳前後です。タブレットの電源をオンオフするのも不慣れなドライバーでも抵抗感なく使えるシステムにこだわりました。またクラウド型で提供することで、地方の零細タクシー会社でも使える低価格なサービスを実現しました。初期費用も保守・点検も安価ながら常に最新機能が使えるため、これまで事務所から無線でドライバーに指示していたタクシー会社の配車システムとして、導入が進みました」と波多野氏。

配車室(事務所)側のPCでは、配車に必要な「顧客情報」「乗務員・車両情報」「勤怠管理」を1画面に表示できる。
ドライバー側の車載端末(タブレット)には、「配車室との無線」「配車指示確認」「送迎地点までのナビ」を表示し、ドライバーをアシストする。

配車室の機能を電脳交通に委託

導入後の使いやすさをサポートするため、データ解析や保守業務、新機能の追加などを充実させている。

 電脳交通ではオプションサービスとして「電脳配車室」というサービスを提供している。これはタクシー会社で行っている電話配車業務を、電脳交通に委託できるサービスで、配車スタッフの不足や、深夜帯の配車スタッフの人件費コストなど問題を解決できるサービスだ。電脳交通では徳島、岡山、福岡、神戸などに電脳配車室のオペレーションセンターを設けており、全国のタクシー会社の配車業務の委託に対応できる。

 波多野氏は「この電脳配車室の利用によって、地方の中小タクシー会社の業務負担が軽減します。地方ではタクシーを電話で呼ぶケースが大半を占めていますが、人手不足によってその電話を受けるオペレーターがおらず、ドライバーが持ち回りで対応しているような企業も多くあります。その配車を当社に委託してもらうことで、稼働していなかったタクシーも稼働できるようになるのです。また、深夜帯のみ当社の電脳配車室のサービスを利用してもらい、深夜帯のオペレーターのシフトを昼間の問い合わせが多い時間帯に配備することにより、配車の問い合わせを取りこぼすことをなくすという活用例もあります。タクシー会社の業務負担を軽減しつつ、よりタクシーの稼働率を上げることを目指せます」と語る。

公共交通の空白をタクシーが埋める

 現場目線で開発された使いやすいタクシー配車システムによって、多くの中小タクシー事業者に導入された「電脳交通」。現在では京都の大手タクシー会社であるMKタクシーや、日本最大規模のタクシー保有台数の第一交通産業グループでの導入が進むなど、大規模事業者での活用も進みつつある。そうした大手タクシー会社から需要の多い、「自動配車機能」や「データ解析機能」などもオプションとして順次リリースしており、さまざまな規模のタクシー事業者が使える配車システムへとアップデートし続けている。

「2021年6月には『デマンド交通運行管理機能』を実装しています。これは乗合タクシーの運行を支援する機能で、乗合予約の作成や編集、追加、配車時の運転手指定が『電脳交通』の画面上で可能になります。ドライバーは普段使用しているタブレット上で詳細な乗車・降車位置を地図上で確認できるため、運行がしやすいのです。地方では公共交通機関の路線廃止や運転本数の削減など、交通空白地域が拡大しています。そうした地域では日常的な移動手段に困る交通弱者が多く住んでいるため、ピンポイントで移動可能なタクシーが重要な生活の足となっており、タクシー事業者が自治体・民間団体などと連携し自ら乗合タクシーを運行するケースも増えています。そうした運行管理の負担軽減を実現するため、本機能をリリースしました」と波多野氏。MaaSにもつながる地域交通存続の取り組みである本機能は、新潟県加茂市におけるデマンド型タクシー「のりあいタクシー」の運行の実証実験でも活用されている。

 ITの力で地域の交通課題を解決していく電脳交通は、交通の電脳化を進めていくことで、これからも人々の移動をより便利に変えていく。

“EMot"から広がる小田急電鉄のMaaSへの取り組み

Mobility as a Service

アプリ上で箱根のさまざまな乗り物に自由に乗れるほか、対象の優待施設の入場料金が割引になる箱根フリーパス券を購入できる。利用中はこの画面を駅員や施設スタッフに提示すればよい。

MaaSは、単一の交通手段のみならず、複数の交通手段をシームレスにつなぐことで、複合的な経路検索や支払いを一つのプラットフォームから一括して行えるようにする概念だ。小田急電鉄が提供しているMaaSアプリ「EMot」(エモット)はこの概念をすでに実現したサービスと言える。その開発の背景と、同社のMaaSへの取り組みについて聞いた。

顧客とのデジタル接点を増やす

 東京都、神奈川県を中心とした鉄道事業や不動産事業を営む小田急電鉄。同社では、2018年ごろからMaaSへの取り組みを進めている。背景にあるのは、“50年来の悲願”であった複々線化プロジェクトが2018年3月に完了したことがある。複々線化とは、朝のラッシュピーク時間帯における、車内の混雑や過密ダイヤによる所要時間の増大といった問題を解決するため、もともと上り線下り線合計2本だった線路を、4本に増やすことを指す。これによって所要時間の短縮や運転本数の増加を実現できた小田急電鉄は、次のステップとして顧客とのデジタル接点を増やすことを視野に入れ、MaaSへの取り組みをスタートしたのだ。

 そこで同社が2019年10月末から提供しているのが、MaaSアプリ「EMot」だ。EMotには、電車やバスだけでなく、タクシーやシェアサイクルなどのさまざまな移動手段を組み合わせた「複合経路検索」や、周遊フリーパスや飲食のサブスクリプションサービス、ショッピングに応じたバス無料チケットなど、スマートフォンから購入して利用まで完結する「デジタルチケット」などの機能が備わっている。複合経路検索は、使いたい交通機関の選択や、リアルタイムで電車やバスの遅延情報※なども表示でき、ユーザビリティに優れている。
※小田急グループの一部電車・バスの情報に限る

EMotによる複合経路検索。アプリ上でロマンスカー(特急券)の予約が行えるなど、検索から予約手配までを一気通貫で行える。検索対象はシェアサイクルやタクシーなども含まれており、ユーザーが使いたい交通手段を指定することも可能だ。

オープンなMaaSのデータ基盤

小田急電鉄
経営戦略部 課長
次世代モビリティチーム統括リーダー
西村潤也 氏

 これらのインフラには、小田急電鉄とヴァル研究所が共同で開発しているデータ基盤「MaaS Japan」が活用されている。MaaS Japanは、MaaSアプリなどのスマートフォンアプリやWebサービスに必要な、経路検索や電子チケット管理、交通サービス情報提供などの機能をAPIとして提供しているオープンなデータ基盤だ。例えばJALといった飛行機、カーシェアリングサービス「タイムズカーシェア」や「dカーシェア」、自転車シェアリングサービス「ドコモ・バイクシェア」や「ハローサイクリング」、タクシー配車アプリ「GO」などとサービス連携している。前述したようにオープンなデータ基盤として提供しているため、小田急電鉄以外の企業がMaaSアプリ開発を行う際に活用できるのだ。実際に、東京都による「MaaSの社会実装モデル構築に向けた実証実験」において、2020年1月から3月にかけて「立川おでかけアプリ」を使って公共交通をより便利にするMaaSの実証実験を実施しており、この立川おでかけアプリにMaaS Japanのデータ基盤が活用された。

 小田急電鉄 経営戦略部 課長 次世代モビリティチーム統括リーダー 西村潤也氏は「2年間EMotのサービスを提供してきたことで、使われている機能、使われていない機能が把握できました。今後は使われている機能の拡充、使われていない機能の縮小を進めていきます。また、デジタルチケットになったことによって、どのチケットがどのタイミングで購入されているかが分かるようになりました。EMotのアプリをダウンロードしなくても箱根の観光シーンに合わせたデジタルチケットを購入できる『EMot オンラインチケット』のサービスも2021年10月1日からスタートしています」と語る。

 デジタルチケットは同日から、観光情報サイト「箱根ナビ」上でも購入できるようになっている。本機能実装に伴って、目的地別や自家用車で箱根に向かう観光客にも適したチケットを、新たに造成したという。

小田急グループの特急券のほか、遠州鉄道や秩父鉄道などの鉄道会社のチケットもEMotアプリ上で購入できる。

モビリティ×安心快適な社会へ

 こうした様々なアクセスルートから、チケットを購入できるようにしている背景として「顧客接点を獲得することが第一の目的です」と西村氏は話す。もともと、観光をするためには目的地への交通手段の手配や、目的地近くからの移動手段、宿泊先などを個別で手配しなければならなかった。しかし様々なチケットがスマートフォン一つで購入でき、手配が可能な昨今に、「顧客とのデジタル接点を確保しなければ選択肢にも入らない、と考えました」と西村氏。

 小田急グループではMaaSへの取り組みの一環として、新しいモビリティハブの創出にも取り組んでいる。2021年10月1日に、小田急グループの小田急バスが東京都武蔵野市内の「桜堤折返場」を開発し、“暮らしの「町あい所」”をコンセプトとする新たな複合施設「hocco」(ホッコ)を開業した。hoccoは、店舗兼住居5戸と住居8戸から構成されており、各戸に設けた土間スペースでカフェや雑貨販売などの「なりわい」を営むなど、入居者相互や地域とのコミュニケーションを活性化させる施設だ。この賃貸住宅を核に、シェアカーやシェアサイクルを有する地域コミュニティとモビリティの拠点としてバス沿線地域の活性化を目指す。

「現在のMaaSは、基本的に駅を起点(ハブ)としたサービスが中心です。しかし、駅だけで本当によいのか、という考えからhoccoの取り組みがスタートしています。桜堤折返場はバスの終着始発点であり、本数が多く交通の便がよい閑静な住宅街です。郊外では自家用車がなければ生活ができない地域も多々ありますが、こうした公共交通機関やシェアサイクル、シェアカーなどを利用することで車を持たなくても生活できる拠点の選択肢を提案したいと考えています」と西村氏。

 モビリティ×安心快適な社会へ向けた小田急電鉄の取り組みは、これからも続いていく。