あの人のスマートワークが知りたい! - 第10回
国に頼らず働き方を変えることは可能――ドラゴン桜、インベスターZ作者 三田紀房先生からの提言
週休3日制で週刊連載を2本続けるための合理的スマートワーク
『ドラゴン桜』『エンゼルバンク』『砂の栄冠』と次々にヒット作を生み出し、現在も『インベスターZ』『アルキメデスの大戦』を連載中の漫画家 三田紀房先生。ゼロからの東大受験、中学生が億単位の投資に挑戦といった壮大な物語は、読者を魅了し続けています。それらの作品に通底するのは徹底した合理主義。今回は三田先生に「物事の筋道」から「働き方改革」に鋭く切り込んでもらいました。
文/まつもとあつし
三田紀房(みた のりふさ)
1958年生まれ、岩手県北上市出身。明治大学政治経済学部卒業。代表作に『ドラゴン桜』『エンゼルバンク』『クロカン』『砂の栄冠』など。『ドラゴン桜』で2005年第29回講談社漫画賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。現在、「モーニング」「Dモーニング」にて“投資”をテーマにした『インベスターZ』を、「ヤングマガジン」にて『アルキメデスの大戦』を連載中。
三田紀房公式サイト
「働き方改革」は幻想だ
―― 働く人々を描くことが多い三田先生ですが、よく語られるようになった「働き方改革」についてはどのようにご覧になっていますか?
三田 ブラック企業問題などは確かに是正されるべきです。ただ、僕は国がそういった問題・事件を契機にこういう言葉を掲げて社会を変えようとする動きに対しては懐疑的です。
―― なるほど。ただ、少子高齢化に伴う労働力の減少、すなわち国単位での生産力の低下については、言葉はともかくとして多くの人が懸念を示してはいますが……。
三田 心配についてはその通りだと思いますが、では「働き方改革」が効果を生むかといえば、僕はそれは難しいと思っています。『上手いこと考えたな』とは思いますが、少子高齢化と働き方を結びつけて、一気に両方を解決できるとは到底思えないからです。
ざっくりと言ってしまえば、働き方改革とは「残業せずに早く帰ろう」ということですよね。そうすれば、家事労働を夫婦で負担しあって時間も生まれるので、子作りの機会も増えるだろうと(笑) しかし、それはとても古い考え方だと僕は思うのです。終戦直後あるいは昭和のベビーブームよ、再び……という、保守的で今の社会状況をわかっていない人たちが作り上げた幻想ではないでしょうか。
―― 非常に手厳しいご指摘です。このサイトが掲げる「スマートワーク」は、働き方改革と直結しているわけではありませんが、一度冷静に考えてみる必要がありそうです。
三田 振り返ると、例えばベビーブームが起こった昭和の時代は、皆ものすごく長時間労働をしていたわけです。すでに核家族化も進んでいましたし、それこそ週休2日制度もなく、土曜日も働いていました。農業を営んでいる人を例に取っても、朝から晩まで農作業に従事しなければならない人が多かったのです。翻って現在は、機械化・合理化が進んで、兼業も可能になりましたよね。働く時間は減ったはずなのに、出生率が上がったかといえばそうではない。過疎化も進んでいます。
ですから、労働時間と出生率は合理的に見てもセットでは考えられないと思うのです。ある種の誤ったイメージ=幻想を提示して社会を変えようというのは、僕は良くないことだと思います。
―― 逆にいえば、現代にも適用可能なモデルケースというのは、実は過去にはなかったということをきちんと理解しなければいけないということになりますか?
三田 そうですね。本格的な分析は社会学者の皆さんにお任せしたいと思いますが、太平洋戦争が終わり朝鮮戦争を背景とした高度経済成長の中で、給与所得を得た男性は皆家庭を持つということを本能的にも目指したということに尽きます。
―― 経済的な余剰、余裕がない現代ではそもそも労働時間を減らしても「家庭」に投資が向かうことはない、と。
三田 加えて言えば投資先がひとつ増えたということもあると思うんです。当時は「モノ」がない時代でした。家電、車、さらに進めばマイホーム――という具合に、所得の増加があっても買える「モノ」のバリエーションは限られていました。またこれらの選択肢は、国の政策による裏打ちがあったことも押さえておきたいポイントです。
―― 国が家電や自動車の産業を支えていたり、住宅購入のための融資金利など各種制度を整えていたからこそ、安心してこれらのモノが買えたと。
三田 ところが、政策の裏打ちがあまり効かなくなっている現状があります。そして、他にも楽しいことが一杯あるわけです。人々の興味・関心は、かつての限られたところから、一気に解放されています。選択肢が増えているのです。
―― 物理的・精神的な充足を得るための投資対象が増えた?
三田 リアルだけでなく、バーチャルな世界で充足できるようになってきた、というのが大きいですよね。ゲームもそうだし、ソーシャルメディアでの自分の評価などで満足を得る。そこに投資する人が増えてきたということですね。
―― なるほど……確かに自分自身や周囲を見ても頷けるものがあります。となると、一体どうすれば、現在の問題に対応できるのでしょうか?
三田 僕の答えはシンプルなのです――それは「放っておくこと」。人の精神的な部分を国がコントロールすることは無理があるのです。遙か過去には「宗教」でそれをコントロールできた時代もありましたが、今はそれも難しい。個人が個々の世界観で生きていくことに、ほとんどの人が一番の価値を見い出しています。
―― 一方で、憲法や道徳などに手を加えることによって、そこをコントロールしようという動きもあるわけですね。
三田 無理な相談だと思いますね(笑) 僕は現在『アルキメデスの大戦』という太平洋戦争時代の日本を描いた漫画を連載中です。様々な資料を見ていますが、明治から遡ってみても、国がスローガンを打ち出して、コントロールを試みても、上手くいった・良い結果を招いたことはひとつもありません。高度経済成長も朝鮮戦争という、言わば他人のエラーで得点を取ったようなものですから。1964年の東京五輪も復興の象徴のように語られますが、実際の経済効果は限定的なものだったのです。バブル経済も海外諸国の競争力が落ちていたというのが、最も大きな要因だったというのが客観的な見方だと僕は思います。
―― 成り行きに任せるしかない?
三田 そうです。しかし、歴史を振り返ると我々日本人の適応力というのは高いものがあると思います。そして同時に、日本は世界から見れば、極東の小さな国で世界に影響を及ぼすことは実はほとんどない、という自覚は持った方が良いでしょう。その上で、この世界の片隅に幸せに暮すのが一番良いと思います。「世界をリードするんだ」と背伸びをした途端に不幸な歴史を繰り返すことになりますから。
週2本の連載を抱えながらのスマートな働き方
―― 「働き方改革」から日本のあり方まで、幅広く、そして耳の痛いお話も伺いました。少し視点を変えて、先生ご自身の働き方も伺っていきたいと思います。現在、三田先生は投資をテーマにした『インベスターZ』、そして太平洋戦争の時代を舞台にした『アルキメデスの大戦』と、情報量の多い漫画連載を週2本抱え、非常に忙しい毎日を送っておられます。時間管理などを相当上手くやらないと、今回のようにインタビューに応じたりすることも難しいのではないでしょうか?
三田 執筆にあたっては完全な分業体制を取っています。作業は徹底的にアウトソースするようにしているのです。例えば僕が現場を取材したり、自分でイチから参考文献を読み込むということもしません。
―― なるほど! 「資料は自分で探す」という漫画家の方も多い中、非常に明快なコメントをいただいたと思います。
三田 雑誌の編集部は何を欲しているか?――完成した原稿です。作者が自ら調べていようがいまいが、原稿さえ毎週もらえれば良いのです。僕の役割は〆切までに原稿を渡すこと。そこに100%の力を注いでいます。ある意味、自身をプロデューサーと位置づけています。
調査などに力を分散してしまうと、〆切を守るというところへの負担がその分大きくなってきます。そこが溢れてしまって原稿を落としてしまうことが作者と編集部、引いては読者にとっての一番の不利益なのです。最大の利益をどうやって、最短距離で生み出していくか? そこが僕にとって一番大切なことです。
―― 今は何人くらいで、どういった役割分担で2作品の制作を進めていらっしゃるのでしょうか?
三田 社員は5名ですが『インベスターZ』は完全デジタルで外部制作です。ウチのスタッフは手を動かすことはありません。
―― えっ!? そうなんですか。
三田 キャラクターの設定や原案、各話のストーリーからネーム(漫画のラフ、絵コンテ)までは我々が作りますが、作画から仕上げまでは外部の会社ですね。逆に言えばその作業を引き受けてくれる会社が現れたので、2作品を毎週同時連載することが可能になっているのです。現代が舞台ですし、絵よりもお話の面白さで見せていこうという目論見があります。
一方、『アルキメデスの大戦』は従来通りの作り方をしています。社内にアシスタントを置いて、背景も含めて手描き中心で作業してます。手描き=アナログの重量感が必要な作品ですので。
―― 漫画制作というと、徹夜が当たり前、絵に描いたような長時間労働の現場という印象を持っている人も多そうですが。
三田 ウチは朝9時半出社で、夕方6時半には皆必ず帰ります。徹夜も一切しません。
―― おー! 業界では非常に珍しいと思います。
三田 勤務日は月曜日から木曜日まで、週休3日制です。もう10年くらいになります。
―― !!
三田 正社員として雇用していますので、安定もしていると思います。うちで働きながら、自分の作品に取り組む時間も取れるはずですし、結婚した子もいます。生まれた時間をどう使うかは個人の自由なので、それぞれの選択があっていいと思います。
―― 前半のお話で「働き方改革というスローガン」には否定的でしたが、もうずっと前からご自身で実現されていたわけですね……。
三田 僕はまもなくデビュー30周年を迎えます。かつては、僕も昼から描き始めて、そのまま深夜・早朝までという仕事のやり方だったのですが、僕自身もそうですし、何よりスタッフが疲弊していくのです。だいたい2~3年で「辞めたい」と言い出す。いくら手塩に掛けて育てたスタッフでも、一度辞めると言い出したら、説得してそれを覆すのは難しい。とはいえ、その繰り返しではスタッフが育たないし、定着しない。
―― まさに多くの企業が抱える悩みと同じですね。
三田 ですから、漫画業界では当たり前とされていたブラック企業的働き方からの転換をしようと、決心したのです。徹夜は止めて朝型にしよう、と。それで試験的にやってみたところ、上手くいったのです。〆切が守れるのはもちろん、原稿のクオリティにも全く問題ありませんでした。
これまで「どうせ徹夜なんだから」とペースを上げず作業していたところに、「夕方6時半には帰らないといけない」という決まりを作ったら、皆集中するようになりました。ゴールを決めれば、あとは各人のやり方で仕上げてくれるのです。加えてデジタル技術によって、革新的にスピードアップも図れるようになりましたから。
―― 作画もさることながら、漫画家のお仕事と言えば担当編集さんとの打ち合わせが数時間に及ぶという印象もあります。その辺はいかがでしょう。
三田 僕の場合、編集さんとの打ち合わせは「30分」と決めています。そこでキャラクターの登場の仕方やストーリーの見せ場まで全て決めてしまいますね。その後ネームを作って編集部に送って確認してもらうという手順です。
―― 1時間単位ではなく、30分ですか!?
三田 1時間もあると、無駄話が始まってしまいますから。逆に言えば週刊連載の各話20ページって、30分で集中して打ち合わせたことくらいしか、盛り込むことはできない、というのが僕の考えですね。今回はこんなテーマを示したいというゴールが僕の中ではっきり決まっているので、30分もあれば十分なのです。
―― ある意味、先生の作品とも整合するお話に思えます。登場する魅力的なキャラクターたちも合理的思考を突き詰めていくタイプですね。
三田 『アルキメデスの大戦』が象徴的だと思いますが、戦争というのは徹底して非合理的な状況ですよね。国の全てのリソースをつぎ込んで、勝つか負けるかのギャンブルに打って出るわけですから。
とはいえ、皆、国レベルでの非合理な状況というものの存在は理解していますし「戦争なんて良くない」とも言いますよね。ところが、自分の身の回りの生活レベルで、合理的に思考し行動できているかというと、実はそうでなかったりします。今、大企業で相次ぐ失敗も、現場の非合理な思考と行動が積み上がった結果なのです。マクロでは間違いだとわかっていることが、ミクロな単位ですとその思考の習慣を改めることができないのです。僕はその矛盾を作品に登場させ、それに抗う人々を描くことで、『実は自分も日常生活の中で非合理的な思考・行動に陥っているのでは?』と、読者が自身を省みるきっかけになればと思っています。
―― 合理性・論理性を極めることで、不幸な状況を回避して幸せになる、利益を皆が享受できるようになる、というテーマが先生の作品を通じて共通するものであり、私たちへのメッセージであるということがよくわかりました。スマートワークの実践という観点からも大切なお話であったと思います。本日はお忙しい中、ありがとうございました。
筆者プロフィール:まつもとあつし
スマートワーク総研所長。ITベンチャー・出版社・広告代理店・映像会社などを経て、現在は東京大学大学院情報学環博士課程に在籍。ASCII.jp・ITmedia・ダ・ヴィンチニュースなどに寄稿。著書に『知的生産の技術とセンス』(マイナビ新書/堀正岳との共著)、『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(アスキー新書)、『コンテンツビジネス・デジタルシフト』(NTT出版)など。