あの人のスマートワークが知りたい! − 第13回
シニアの労働が若者のライフワークバランスを支える社会へ
ICTを活用した「高齢者クラウド」が、労働力不足解決のキーになる
日本では世界に類を見ない速度で高齢化が進行しています。従来のような若者の労働が高齢者を支える社会構造の継続は困難になりつつある一方、定年後も働きたいという意欲を持ったシニアも増加しています。シニア労働力をマッチングする「高齢者クラウド」の研究開発に取り組んでいる、東京大学先端科学技術研究センター講師の檜山敦氏にお話を伺いました。
文/狐塚 淳
檜山敦
東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野講師。理化学研究所革新知能統合研究センターチームリーダーを兼務。東京大学工学部卒。同大学院工学研究科博士課程修了。工学博士。複合現実感、ヒューマンインターフェースを専門とし、超高齢化社会をICTで拡張するジェロンテクノロジーの研究に取り組んでいる。Laval Virtual Trophy、IFIP Accessibility Awardなど各賞を受賞。著書に『超高齢社会2.0 クラウド時代の働き方革命』(平凡社新書)がある。
人口ピラミッドを反転させるというアイデア
―― シニアの労働というテーマに注目されたのはいつ頃ですか?
檜山 博士号を取った後に、情報技術、ロボット技術、バーチャルリアリティーを活用して高齢者の生活支援を行う研究に携わりました。そのために超高齢社会という背景をしっかり理解していく必要がありました。日本の年代別人口分布が時代とともにどう移り変わっていくのかというアニメーションを眺めていたところ、1980年くらいには安定した三角形だったものが2050年くらいには逆三角形のピラミッドになり、若者一人が一人のシニアを支えなければならないという状況が図柄として見えてきたのです。人口動態の予測は確実に現実になるものですから、そうなった時にその時代の現役世代は、今の社会の仕組みのままでは自分たちの生活を成り立たせることさえできなくなるのではないかと感じました。人口ピラミッドの変化をずっと見ていた時にふと思いついたのが、これを上下引っくり返せば元のきれいな三角形に戻るじゃないかということです。逆転したピラミッドでは、安定した構造を支えているのはシニア層ということになります。シニア層が元気に就労できるなら、若い人を育てるような、現役時代とは異なる形で社会を支える役割を担えるのではないかと思いました。
―― それを具現化していくためにはシニアの労働形態を確立していく必要があると思いますが、それは従来の現役世代が会社にフルコミットするような形とは異なるものになりますか?
檜山 元気なシニアは大勢いらっしゃいますが、その人たちが定年退職した後にどういう社会との関わり方を望んでいるか、どんな仕事のやり方を求めているのかをまず理解しなくてはならないと考えました。東大の柏キャンパスには東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)があって、高齢社会の研究を主軸としています。そこに集まってくるシニアの方たちと議論しているうちに、どういう社会との関わり方を望んでいるのかがわかってきました。働きたいという方は大変たくさんいらっしゃいます。ただ、フルタイムで働くよりはもっと自由な働き方が用意されていれば、そちらを選択したいという方が多く、そういう人たちの力を組織化して社会の活力にしていかないといけません。現役世代と違った、いつでも定常的に得られる労働力ではないので、そのままでは、社会の推進力になるような大きな仕事はなかなか結び付けられないですよね。だから、個々の労働力でモザイクのピースを埋めていくような形で、適材適所で経験と知識を活用して若い人を支えるような仕組みにできれば、多くのシニアが仕事に関わっていく可能性があるのではないかと考えました。
―― 柏キャンパスで高齢者の方たちとお話しされたのはいつごろですか?
檜山 現在の「高齢者クラウド」の研究が始まった2011年くらいです。フルタイムでなく柔軟な形で働きたいという希望を持ったシニアの方には、体力的な理由もあれば、老後の時間をもっと自由に使いたいという要望もありました。
既存の価値観がシニアの就労のハードルになる
―― シニアの方の社会参加、労働欲求を実現する枠組みの構築を研究されてきたわけですが、いろいろ難しい点もあったと思います。どんな点が大変でしたか?
檜山 実現するために必要なプレイヤー、「高齢者クラウド」の登場人物がいるのですが、まず働きたいシニア、求人する組織があって、そこに「高齢者クラウド」という両者を結びつける技術が必要なわけです。この5年の間にはシニア就労というものが社会的に必要で一所懸命に取り組んでいかなくてはいけないという理解が広まってきました。しかし、従来型の価値観がそれぞれのプレイヤーを同じ方向に向けることの壁になっています。企業にとってはシニア労働力をどういったところで活用できるのかわからないから、あまり求人は出せない。シニアに対して今後10年をかけて育成するというわけにはいかないから即戦力でなければいけませんし、どこにどういうことができるシニアがどれだけいるのかという情報が集約されていないので探そうにも探せません。そのためにはICTの活用が必要なのですが、ICTを導入する役割の人を企業に置く余裕がなかったり、従来の求人の仕組みを変えるのが難しかったりします。シニアの方も柔軟な働き方を志向はしていても、どうすればそういう働き方が可能なのか想像できない。こうした状況を改善するためにICTがあればいろんな仕事の可能性と自分がつながれることは理解しているのだけれど、どう活用したらいいかわからないし教えてくれる人もいない。
―― シニアの方がハローワークに行っても求めているような求人はない。企業としても外部のシニアの方を使おうとしても、使えるノウハウも組織もない状況を解決していかなくてはならないわけですね。
檜山 シニアと企業の双方の希望を結びつける仕組みが必要です。いろいろな規模の企業でそういう取り組みが開始され始めているのですが、そこにICTが含まれていないと従来型の仕組みの中でのトライなので、こぢんまりとした規模で収まってしまい、人口ピラミッドの大きな変化を解決できるほどの規模のものにはなりません。拡大していくためにはICTが必要なのですが、この課題に関する企業もシニアもICTとまだ距離があるため、それをどうやって近づけていくかを考えなくてはなりません。
ホワイトカラーのシニア就労を実現するために
―― すでに単純作業や高度な専門職のシニア求人は存在しますが、人口ピラミッドの変化を考えると、一番数の多い一般的なホワイトカラーのシニア就労を社会として実現していかないと拡大は進みませんね。
檜山 既存の求人のやり方から変えていかなくてはなりません。今の現役世代への求人のやり方で、シニアのホワイトカラー層に求人を出すのは無理があります。若者と老人が競合してしまい、シニアが安い労働者ということのみを売りにしてしまうと、仕事が若者からシニアへ流れていく可能性もありますし、それによって若い人の「働き方改革」と逆行してしまう可能性もあります。そうではなくて、若い人の働き方を助けるためのシニアの働き方を考えて、そのための仕組みを発掘していく必要があります。今の日本の現役世代の働き方、就労の仕方というのは職務が決まっているのではなくて、役職に対して給与が支払われ、なんでもかんでも担当しなくてはなりません。本来その人がやらなくてもいいような仕事もそこに含まれているかもしれないような状態で、一人の人間に対する業務範囲が際限なく広がっていくような構造になっています。その状況で非正規雇用が増えていくと正規の職員の負担が増加します。しかし、その人たちは育児も介護も担わなくてはなりません。今の状況だと仕事か家庭かどちらかを選ばなくてはならない。そうではなくて、現役世代が仕事の上で一番集中したいところに集中できるようにしなくてはなりません。その周辺の仕事を経験のあるシニアが補うことで、現役世代一人一人のライフステージの変化にあわせられる形を作っていく必要があります。仕事が途切れるのではなく、グラデーションを持って若い人が仕事とつながっていけるような就労環境を作っていくのと同時に、シニアが活躍する場所を拡大していける構造を作り出し、世代同士が支えあっていく形にしていかなくてはと思っています。そこには単純に能力のマッチングだけではない要素があります。
―― マッチングすべき要素が複数ある?
檜山 定年退職後どういう目的で働いてみたいですかという問いに対して、いろいろな考え方が出てくるのです。健康のためだったり、友達を作りたかったり、新しい経験をしたかったり。そして働き方の条件も多様になってくるので、多様な満足度という軸を踏まえたマッチングを、仕組みとして開発していかなくてはなりません。その問題は超高齢社会に入り込んでいる日本という国に特有のものです。
―― それについて何を手掛かりに進めていけばいいのでしょうか?
檜山 そうしたマッチングを実現するためには、一人一人の主観的な評価のいろいろな軸にあわせた情報を集めて、情報空間に取り込んでいく必要があります。スキル、経験に関してはこれまでの経歴などの情報を聞き取り、入力していくという方法があると思うのですが、それ以外のどれくらいのペースで働きたいか、生活圏と仕事の空間はどれくらい離れていてもいいのかなど、何がシニアにとって判断基準になる情報なのかをインタビューや議論のなかで軸を作っていき、それを情報空間に取り入れるための仕掛けを作っていかなければなりません。シニアは自分からソーシャルメディアに情報を発信していくのに慣れていないケースが多いので、どんな工夫をすれば人々の情報を集められるのかということを考え、研究チームの中で一つ作ったのがQ&Aカードです。どういうことに興味があり、何を知っているかなどの簡単にこたえられる二択か三択の質問のセットをシステムに用意して、時間のある時に答えてもらう仕組みです。この質問で得た情報をマッチングのサービスやアプリケーションに組み込むことで、いま柏市で展開しているGBER(ジーバー)というサービスではたくさんの情報が集まり、いろいろな種類の求人を開拓していけそうな手ごたえが出てきているところです。
シニア就労と現役世代の「働き方改革」の関わり
―― そうした研究と同時期に、世間では「働き方改革」が注目されるようになってきました。「働き方改革」への取り組みについてはどのように評価していますか?
檜山 「働き方改革」への取り組みもさまざまです。若者の事情をきちんと理解して取り組んでいる企業もあるだろうし、そうではなく単純に時短就労だけを言っているケースもあります。「働き方改革」で必要なことは、どんな仕組みを作っていくかよりもまずどんな状態が理想的なのかを理解して、それを目指す形で仕組みづくりを考えていかなければなりません。ところが、長時間労働がいけないから短くするというだけで、どんな構造がいいのかを考えずにただルールだけ次々に作っていくのは、とても危険というか、逆に現役世代を苦しめていくようなことになりかねません。たとえば、「働き方改革」に少し先行した正規雇用の問題で、非正規雇用で5年経過したら正社員にするというルールを作ったら、5年の手前で雇い止めをするという、もっと厳しい問題が生まれる結果になってしまいました。
―― 結局「働き方改革」というのも、目的ではなくメソッドですよね。目的としては継続可能な社会を作るとか?
檜山 社会を持続可能にするという目的で、若い人が自分の時間のすべてを仕事に奪われることにはならないようにしないといけません。そのためには生産性を高め、仕事の評価軸をどれだけの時間働いたかではなく、どれだけのアウトプットを生み出したかという体系に変更していく必要があります。生産性を高めて短い時間でより多くのアウトプットを生み出して、家庭の中でも自分の役割を担えるようにするべきです。
―― 今年、テレワークデーが実施されました。体験した企業の人は満足して生産性が上がったと回答している人も多いです。
檜山 好きな場所で仕事ができるテレワークをある程度の割合で組み込んでいくことは必要だと思いますが、全部をテレワークにするのは難しいでしょう。今バーチャルリアリティーの研究が急速に進んでいるので、リモートでも完全にその場にいるような体験ができるようになれば変わると思います。対面のコミュニケーションで図れる意思の疎通は重要ですが、その場にいないとできない仕事ばかりではなく、そういう場合には状況にあわせて働く場所を変えることができるようにすることで多様性や柔軟性は確保できます。別の文脈ですが、高齢者や体の不自由な方でその場所に赴いて仕事をすることが困難な場合など、今まで就労をあきらめなくてはならなかった人に就労の可能性を作るという点でも、テレワークの可能性は非常に大きなものがあると思います。
―― 「働き方改革」の取り組みは、やはり多くのプラス面があるのですね。
檜山 人材の流動性というものも「働き方改革」では問われています。マルチワークで副業できるようにしていく方向性です。労働力が不足していくときに、1つの組織の中でしか働けない人より、さまざまな現場で活躍できる人が出てくることが望ましいです。また、複数の組織に入り込めるということで、1つの安心感を得られるようになると思います。育児や介護でキャリアをあきらめなくてはならないとき、1つの職場だけだとゼロか1かの判断しかないけれど、もう少し仕事に対して緩くつながっていられる選択肢があることで安心感が生まれてくるのではないかと考えます。
―― 若年層とシニアの人数的逆転によって、シニア労働をうまく組み入れるためには、正社員である若年層は外部のシニアのマネジメントが仕事の大きな割合を占めるようになるのでしょうか?
檜山 マネジメントの部分はICTが担うべきです。若い人もマネジメントがやりたいわけではなく、やりたい仕事があって、それ以外の部分でシニアに助けてもらえるのはうれしいわけです。そこに情報通信の技術が入り込んでいく。人工知能も人に代わって仕事を奪うのではなく、人と仕事を結び付けていく、人が仕事から切り離されるのを防ぐというところに使っていくのがいいと思います。若い人がキャリアアップの流れをあきらめなくてはならないことを防ぎ、シニアが健康づくりのために社会参加の機会を得たいという仕事とを結びつけていく。その役割が人工知能の重要な部分になるといいと思います。
―― そうした労働を実現していくために、いま企業やそこで働く現役世代は何を考えていかなくてはならないのでしょうか?
檜山 企業に勤めている若年層の人たちは、自分自身がこれから社会とどうかかわっていくのが幸せなのかということを考えていくのが大切でしょう。どんな姿を望んでいるか。その望んでいる姿にあわせて社会の仕組みを設計しなおす。そのために必要な技術を開発し、導入していく。社会や国が前提ではなく、そこで生きている人を前提にした考え方が必要です。
筆者プロフィール:狐塚淳
スマートワーク総研編集長。コンピュータ系出版社の雑誌・書籍編集長を経て、フリーランスに。インプレス等の雑誌記事を執筆しながら、キャリア系の週刊メールマガジン編集、外資ベンダーのプレスリリース作成、ホワイトペーパーやオウンドメディアなど幅広くICT系のコンテンツ作成に携わる。現在の中心テーマは、スマートワーク、AI、ロボティクス、IoT、クラウド、データセンターなど。